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カテゴリ:国内の旅
疲れた~。昨日はあまり寝ていないし、今日から子どもたちに空手の指導を始めました。教える人がいない状態の道場、とにかく怪我がないようにそればかりが気になり、どっと疲れました。なら、早く寝ろって?いいんです、明日は仕事が調整休みですから~♪
気分を変えて、太宰府小旅行記の続きです。 光明寺のすぐそばに「藍染川」という小川が流れています。藍染川なんて、風流で美しい名前ですよね~。その美しい名前のせいか、古くは平安時代から枕詞として数々の和歌に詠み込まれていました。今は小川なのですが、かつては水量も豊かだったとか。 そんな藍染川には伝説があります。 その昔、天満宮の神官・中務頼澄が京に上った折、梅壺という京女と恋仲になって梅千代という男の子が生まれました。歳月を経て、梅壺は我が子を父に合わせようと太宰府に下りますが、頼澄の妻に知れて追い返されます。悲嘆にくれた梅壺は、藍染川に身を投げて死んでしまいます。梅千代が泣き悲しんでいるところに、偶然、頼澄が通りかかります。事情を知って梅壺の蘇生を天満天神に祈ったところ、天神が現れて梅壺は生き返るという物語です。 染川の中には「梅壺侍従蘇生の碑」が祀られています。そして梅壺の子・梅千代は、後に光明禅寺を開山した鉄牛和尚とも言い伝えられています。 これがその蘇生の碑。 その藍染川のそばには、伝衣塔(でんえとう、または、でんねのとう)が建っています。 この伝衣塔が建てられたそのわけは… 鎌倉時代の中頃、太宰府横岳の崇福寺の聖一国師(しょういちこくし)の夢枕に、菅神(菅原道真の霊)が現れ禅の教えを問いました。国師は自分はその任ではないと言って、宋の仏鑑(ぶっかん)禅師を紹介したところ、菅神は一夜の内に宋へ飛び、ただちに悟りを開いて戻ってこられました。菅神は再び聖一国師のもとに現れ、悟りの証にもらった法衣を託しました。その後、聖一国師の高弟・博多承天寺の鉄牛和尚のもとにまた菅神が現れて、預けた法衣を一所に収め祀るようにと告げたのです。そこで、鉄牛は菅神のお告げに従って、僧衣を収めて「伝衣塔」とし、光明寺を建てて祀ったということです。 ふ~ん、霊でも悟りを開けるんですね~。って、伝説なんですけどね。太宰府天満宮の飛梅といい、大宰府は歴史のミステリーに満ちたところでした。太宰府天満宮のお話は、また次回ということで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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