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カテゴリ:国内の旅
■秋の京都&奈良の旅-その9■(→その1、2、3、4、5、6、7、8)
東大寺を後にして向かった先は、行きに通った興福寺です。秋の京都と奈良は特別拝観・公開が多く、ここ興福寺も例にもれずに3つの特別拝観が催されていました。見たかったのは、なんといっても国宝・乾漆八部衆像です。日本史の資料集で見た仏像がずらりと並んでいるんです。これはまた次回にして、今回は興福寺のお話を。 東大寺や奈良国立博物館への通り道として、いつも参拝客や散策をしている人でいっぱいの興福寺、古代歴史ロマンにあふれる場所なのです。 東金堂と五重塔(共に国宝)。 興福寺は法相宗の大本山として知られていおり、天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。山階寺は、天智8年(669)に中臣鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王(天智天皇の元妃)が夫の回復を祈願して、釈迦三尊(鎌足が「大化の改新」の成功を願って造立)、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられています。その後、壬申の乱(627)ののち、飛鳥に都が戻った際に山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺(うまやさかでら)とされました。さらに平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。 興福寺には金堂が3つあり、東金堂は中金堂よりも東に位置することから東金堂と呼ばれました。今から約1280年ほどまえ、神亀3年(726)に聖武天皇が元正天皇(聖武天皇の叔母)の病気回復を祈って薬師三尊を安置するお堂で、創建以来6度の焼失にあい、室町時代に再建されました。 お寺には、聖武天皇が元正天皇の病気回復を願って造立された薬師如来像(重要文化財)が中央に安置されており(室町時代に再建)、それを取り囲むように日光・月光菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩坐像(国宝)、維摩居士坐像(国宝)、十二神将立像(国宝)、四天王立像(国宝)が並んでいます。 五重塔は天平2年(730)、興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立しました。その後5回の焼失・再建をへて、室町時代に再建された日本で2番目に高い塔です。ちなみに、1番目は京都の東寺なんですって!これは博物館までご一緒したYさんに教えていただきました。現在は薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されるそうなのですが、中を参拝できるのかどうかは知りません。 5年前に興福寺を訪れた時は、もう拝観時間の終わった夕刻でした。それでも、近くを散策している人や、通訳ガイドらしき人に説明を受けている外国人ツアー客がいました。その時は参拝できなくて残念だったけど、広々としてのんびり歩くのに気持ちのいい空間です。2020年には創建1300年を迎える興福寺は、現在中金堂の創建当初の設計で再建を目指しているのだそうです。その時はまた参拝してみたいと思っています。その前にも2回くらいは行きそうなんだけど…。 興福寺にある南円堂。ここは10月17日のみ特別参拝でした。ざんね~ん! つづく… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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