|
テーマ:京都。(6116)
カテゴリ:国内の旅
■秋の京都&奈良の旅-その20■(今までのお話はこちらから~♪)
南禅寺で最後に訪れた場所は金地院でした。金地院は応永年間(15世紀初め)に大業和尚が室町幕府4代将軍足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。江戸時代に徳川家康の任が篤く、「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝(いしんすうでん)によって現在地に移転され、現在に至ります。 拝観受付の庫裡を通り過ぎ、まず出迎えてくれるのが「明智門」です。明智門は天正10年1(1582)に明智光秀が母の菩提のため大徳寺内に建立したもので、金地院へ明治元年(1868)に移築されました。 明智門 明智門をくぐって順路通りに進むと、まず弁天池にたどり着きます。昔は元東照宮と開山堂の中間に池庭があり(現在は竹林)、中島に弁財天が祀られていたのを明治初年に現在の場所に移されした。樹木に囲まれたこの庭を通ってたどり着いたのは、東照宮(重要文化財)という建物です。 東照宮 東照宮というと、日光の方を思い浮かべられる方が多いのではないかと思います。その名の通り、ここも徳川家康が祀られている場所なのです。 崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って寛永5年(1628)造営したもので、創建当初は日光東照宮と比すべきものだったといわれています。現存の拝殿、石ノ間、本殿等は京都にのこる唯一の権現造り様式です。拝殿天井の「鳴龍」は狩野探幽の筆、三十六歌仙の額は土佐光起の筆で、歌は青蓮院宮尊純法親王の筆跡です。一見ボロっちい(失礼)古い建物なのですが、中をのぞくとなかなか素敵です。 方丈から見た鶴亀の庭園 十六羅漢像が安置されている開山堂を見て方丈(本堂)に向かうと、目の前には「鶴亀の庭園」(特別名勝)という、桃山時代の風格を備えた江戸時代初期の枯山水庭園が広がっています。寛永7年(1630)の小堀遠州の作といわれています。遠州作と伝えられている庭園は大野ですが、ここは資料が残っている唯一の例なんだそうです。前面の白砂は宝船を表すと同時に海洋を表し、向こう側には鶴島と亀島という長方形の大きな平面石が並びます。方丈(重要文化財)は慶長16年(1611)に崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものといで、内部は狩野探幽・狩野尚信の襖絵で飾られています。 正面に「布金道場」を大書した額は山岡鉄太郎の筆です。 金地院はやっぱり参拝客が少なかったものの、その人たちはなぜか全員外国人でした。ツアー客でもなさそうだったけど、「Lonely Planet」(欧米のメジャーな観光ガイド本)にでも載っているのかしら…なんて思いました。 さて、南禅寺で半日過ごし、三門を見る時間はもうありませんでした。食べたかった湯豆腐は予想以上に高く、豆腐にこんなに大金払えるか~と大人気なく退散。まあ、時間があれば食べていたのかもしれないけど…。そのまま地下鉄で駅に向かい、お土産を買って新幹線口のお蕎麦屋さんへ。でも、値段を見て蕎麦にこんな大金払えるか~!と、京風駅弁を買って帰りののぞみ号に乗り込んだのでした。 なんか、飯の比重が多くない? たった3日間の京都&奈良の旅を、1ヶ月近く費やして書いてしまいました。それだけ見るべきものが多く、充実した旅だったんだと自分でも思います。帰宅した時は軽い京都シックで、あっちに就職探してやる~なんてちょっとだけ思ったり…(友だちに学生の町だから無理やって言われたけど)。また春には行きたいなって思っています。今度はフェリーで行き、浮いたお金でガンガン拝観料を払っちゃるわっ! おわり♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|