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テーマ:名古屋だがねぇ。。(556)
カテゴリ:国内の旅
名古屋&ちょこっと岐阜の旅・その8
◆金鯱◆ 名古屋城といえばすぐに金鯱頭に浮かぶのは、ずばり金鯱でしょう。かつては天守閣に金鯱を持つ城がいくつかあったそうなのですが、江戸中期には名古屋城だけどなりました。明治維新後は宮内庁に献納、1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会で世界の人の目に触れ、1879年(明治9年)に名古屋城の天守閣に戻ったものの、名古屋大空襲で焼失してしまいました。その金鯱ができた当初、重さがなんと215.3kgもあった純金だったそうです。現在の金鯱は復元されたものです。 これはもちろん、レプリカね。 ◆剣塀◆ 名古屋城の大天守閣と小天守閣とを連絡する橋台は、石垣を築き左右両側に土塀を設け通路の防備とし、さらに外部に面する西側には軒桁に30cmあまりの槍の穂先を並べて忍び返しとして外敵に備えました。剣塀は大天守閣に東接する「不明門」にもみられます。(案内板より) 石垣と石垣の奥にあるのが、剣塀です。 ◆御深井丸(おふけまる)◆ 名古屋城のある辺りは沼沢地であったので、築城に当たっては生松などを敷き埋めて築き上げたといわれています。御深井丸は本丸の北西に位置し、本丸とは不明御門で連絡でき、本丸北側の御塩蔵構や西丸とも狭い通路でつながっていました。 鹿がいて、ちょっと驚いた! カラスも行水してたし…。初めて見たわ。 ◆石垣の勾配◆ そして前回ちょっと紹介した、加藤清正が築いたといわれる天守閣の石垣。名古屋城の天守閣の石垣積は、上部で外側にそりだした「翁勾配」の技法が取り入れられています。清正が築いたので、「清正流三日月石垣」と呼ばれています。この技法は、石垣を内面に湾曲させ石の重みと土力による力を分散させ、はらみを避けるためです。さすが「武者返し」の石垣を持つ熊本城主・清正ですね! みどころの続きはまた次回! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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