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テーマ:名古屋だがねぇ。。(556)
カテゴリ:国内の旅
名古屋&ちょこっと岐阜の旅・その13
最終日に訪れた場所は、一度は参拝してみたかった熱田神宮です。地元の人には「熱田さん」と呼ばれ親しまれている神社だとか。 早朝は雨模様だった名古屋だけど、神宮前駅に着く頃にはすっかり雨も上がり、参道には木々が繁り、涼しくていい気持ちで神社まで歩いて行けました。平日なので人も少なく、それにしても少なすぎないか?ってくらい人がいませんでした。 気持ちよくお散歩。 熱田神宮が創建された年代は不詳とされています。始まりは、第12代景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚しました。日本武尊は、草薙剣を妃の手許へ留め置きました。日本武尊が能褒野で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斉鎮守したのが始まりと言われています。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に常に置かれるようになり、御神体となりました。しかし、その草薙剣は壇之浦の合戦時、安徳天皇とともに海に沈んだとも云われていますが、どちらが本当なのか定かではないそうです。 熱田神宮の社殿は何度か形を変えて造営されましたが、明治26年(1893年)に竣工された社殿は、太平洋戦争の空襲で焼失、現在ある社殿は昭和30年(1955年)に再建されました。 ところがですね、今回はその社殿の奥すら見られなかったんです。なんと、工事中でした。人が少ないはずだわ!と、ちょっぴりがっかり。しかも、帰りの新幹線の時間があるので、神社周辺をじっくり見られませんでした。次回、機会があれば半日くらいかけて見物しようと思います。境内図なんて見ると、おもしろそうなものがたくさんあるんですもん…。 そのおもしろそうなものからひとつ。 これは「信長塀」といいます。1560年に建てられました。織田信長が桶狭間出陣の際、熱田神宮に願文を奏し、大勝したのでそのお礼として建てた塀です。土と石灰を油で塗り固め、瓦を厚く積み重ねています。京都の三十三間堂の太閤塀、兵庫県西宮の西宮神社の大練塀と並んで日本三大塀のひとつといわれています。 最終日は駆け足となってしまいましたが、最後にまた、名古屋名物を食べて帰りました。それはまた次回のお話で。 つづく… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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