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テーマ:山口県(129)
カテゴリ:国内の旅
■山口・長門の旅・その4■
萩藩士で明治維新の立役者のひとりだった井上馨は、1836年に周防国湯田村に生まれました。今の山口市湯田温泉にある高田公園は、その井上馨の邸宅があった場所です。 井上馨の像。 内閣総理大臣までにはならなかった井上卿ですが、外務大臣、大蔵大臣など数々のポストを歴任し、不平等条約の改正に努力を尽くした近代日本を築いた政治家の1人です。長州征伐で傷を負った際には、別府温泉で療養したこともあるとか。さすが湯田温泉生まれ、根っからの温泉好きの人物とみたっ! 明治維新の功績を讃える「七卿の碑」。 幕末、公卿たちと尊王攘夷の先鋒となって働いた長州藩。しかし、長州藩の野望を恐れた幕府は、長州藩士とそれに同調する三条実美ら7人に退京を命じました(七卿落)。長州藩主であった毛利敬親公は彼らを迎え、井上邸を増築して三条らを住まわせました。そして、ここが尊王攘夷派の諸藩の志士が集い、王政復古の相談をし、ついには明治維新が樹立したのだそうです。その七卿の功績を讃えたのが、この「七卿の碑」です。 いいですね~、山口県。私は日本史の中でも明治維新以後の近代史がとても好きなんですけど、明治維新に縁のある場所がたくさん!萩に行った時は木戸孝允や伊藤博文の家に吉田松陰を祀った神社、下関では高杉晋作の縁の地を見て歩きました。 公園内にはこんな池もありました。 これは瓢箪池。この庭園は1917年(大正6年)に造られたもので、その形から瓢箪池と呼ばれています。中央の大きな石は、室町時代中期、大内氏の別邸造営のとき、豊後(大分~!)の大友氏から送られたものがここに移されました。遠い豊後を恋しがり、雨の夜には泣くということから「夜泣石」と呼ばれているそうです。私が会いに来たよ~、大分から!でも、大内氏って大友宗麟に討たれたんじゃなかったっけ??? 前の日記でも紹介しましたが、足湯もあるし、ちょっとした子どもの遊具もあり、ここでも市民のくつろぐ姿を見かけました。歴史も温泉もあって、種田山頭火や中原中也の文化人にも縁のある場所です。山頭火と中也の文学碑はまた別便にて…。 白狐と山頭火が迎えてくれるの♪ つづく… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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