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テーマ:長崎紀行(106)
カテゴリ:国内の旅
■長崎ランタンの旅・その3■
まずはこの写真の像の2人、だ~れだっ? 右側はすぐにわかると思います。坂本龍馬の像です。では、左側の人は誰でしょう?ヒントは像の間にある写真機…な~んて聞かれても、なかなかわからないですよね。私もこの左側の人のことは今回長崎を訪れて初めて知りました。この像の人は、上野彦馬(1838-1904)という、幕末から明治にかけて活躍した写真家です。数多くの幕末の志士の写真を撮った彦馬ですが、あの有名な坂本龍馬の写真も撮ったといわれています。 上野彦馬は、長崎町人で技術者の父の四男として生まれました。父の死後、家督を継ぐと文語の日田(現在の大分県日田市)の広瀬淡窓に学び、長崎に戻ってからはオランダ語と化学を学びました。その後、父と同じように写真に魅せられ、写真機や薬品の研究を続けながらフランス人写真師から写真術も学びました。その後、1862年に長崎に日本初の写真館「上野撮影局」を開きました。 彦馬は肖像写真だけでなく、日本初といってもよい報道写真家としても活躍しました。彦馬は1877年(明治10年)の西南戦争の従軍カメラマンとして同行しました。従軍カメラマンは西南戦争以前の征台の役や萩の乱でも存在しましたが、彦馬の方が写真の量と報道性に優れていたそうです。 彦馬は西南戦争で、民家の土蔵に残った弾痕、焼け落ちた建物、瓦礫の山となった街並みを写真に撮り、その戦闘のすさまじさを伝えているそうです。もしかしたら、今までに見てきた田原坂の土蔵の弾痕や植木の街並み、熊本城で見た西南戦争当時の熊本城の写真などは彼が撮ったものかもしれませんね。彦馬の従軍カメラマンとしての写真は風景写真ばかりで、人の死体は決して撮影しなかったといいます。戦争自体に正義も不正義もないという、彦馬の戦争観なのだそうです。 この記事は先週読んだ『幕末維新・あの人の「その後」』(日本博学クラブ・著/PHP文庫)を参照しました。上野彦馬の記事を書こうと思っていた矢先に、この本の3ページほどにわたって上野彦馬について書かれていて、とてもタイムリーでした。 ただ、坂本龍馬の写真、実は彦馬の弟子が撮ったという通説の方が正しいという見解もあります。本当のところ、どうなんでしょうね。 つづく… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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