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カテゴリ:地図
横須賀製鉄所(造船所)の最初の実測図といわれる「横須賀海軍造船所全図」が11月6日(金)・7日(土)に衣笠栄町にある光心寺で初めて一般公開される。明治14年に、技術者養成学校「黌舎(こうしゃ)」の生徒が作成した図で、初期の位置関係がわかる貴重な機会となりそうだ。
1865年(慶応元年)に創設された横須賀製鉄所。当時、測量技術が発達していなかったこともあり、明治13年までの約15年間、同所内には完全な地図がなく、新たな建築の際、不便な状態が続いていた。 そこで黌舎の生徒が西洋の計測器を使用し、測量。明治17年に竣工された2号ドックの建設などに活用したとされる。 歴史研究家で「横須賀の文化遺産を考える会」の長浜つぐおさんは「どこに何があるか細かに記されており、当時の地図としては精度が高く貴重」と話す。同図は当時、造船所内にあった光心寺で保管されていたが、同寺が衣笠に移って以降、日の目を見る機会がなかった。長浜さんらが働きかけ、製鉄所創設150周年に合わせ、今回の初蔵出しとなった。 6日は午後1時半から4時、7日は午前10時から午後4時の公開で入場自由。問合わせは同会【電話】046・826・0848 展示に合わせ7日に、衣笠コミセン主催の無料講座が同寺で催される。使われた道具の解説などを行う。時間は午前10時半から11時半。往復ハガキに講座名「光心寺・造船所全図」、住所、氏名、年齢、電話番号を記入して、〒238―0022 公郷町2の11 衣笠コミセン 今月29日(木)締切。【電話】046・852・3596 (タウンニュースより) ------------------------------ これは貴重な資料。 等高線も描かれた本格的な地形図で門外不出とされていたらしい。 その後の明治40年の地図と比べて微妙に異なるところはあるものの、精度はかなり高いのでは。 横須賀造船所は江戸時代にフランスの技師ヴェルニーを招いて開設した横須賀製鉄所が前身。 その後造船所として拡張され新政府になり1871年に完成、その後海軍の管轄となったもの。 1903年には横須賀海軍工廠となり多くの軍艦や昭和期には航空母艦が建造された。現在は米軍施設になっている。 地図が公開される光心寺はかつて造船所内にあったが現在は衣笠に移転しており、境内には第三次ソロモン海戦で戦没した戦艦「比叡」乗員の為に建立された軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭がある(「比叡」は横須賀海軍工廠で造られた)。 初の蔵出し公開だけに人気は高そうだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.24 02:33:06
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