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2017.01.17
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カテゴリ:災害・防災
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生から22年を迎えた。

22年前の発災時、自分はまだ地図業界に入る前で、某時刻表を作っていた時代。
関東圏や関西圏、名古屋圏で当時としては珍しかった、大都市近郊区間のJRや私鉄の全電車を掲載する時刻表。
関西圏の時刻表も手掛けていたので、地震の被害で各線に不通区間が発生して、それが徐々に復旧していったため、通常ダイヤの時刻表が意味をなさず、復旧の度合いに応じて設定される暫定ダイヤを調査して時刻表に掲載するため、編集部から交代で現地に取材に行った。
傾いたビルや瓦礫が散乱する埃っぽい中をたくさんの人が歩いていた光景は今も忘れない。
大げさでなく、東京に戻ると真っすぐ建っているビルに違和感を覚えたほどだった。

被災地では鉄道が断片的に復旧する中、各線の動いている部分を乗り継ぎながら歩いた。
福知山線で三田へ行き、神戸電鉄と北神急行を乗り継いで新神戸に入り、そこから三ノ宮、元町、神戸を調査して、帰りは部分的に復旧していた阪神、阪急、JRを徒歩で繋ぎながら大阪へ戻ったりした。
確かハーバーランドと天保山の間は代替の船が運航されていたように記憶している。
高速神戸の地下街だったか、大きな声を上げて「震災コーヒー」を売っていたおじさんの何とも言えない逞しさも印象に残った。

やはり気になったのは時刻表をつくるにあたってお世話になっていた各社の担当者の安否だった。
これは信楽高原鐡道の事故の時もそうだったけど。
当時神戸には親戚も何人かいたのだけど、その親戚もしばらくは安否確認ができなかった。
まだ今のように色々な手段が確立されていなかったこともある。
携帯電話もそれほど普及していなかったし、インターネットもまだ本格化していなかった。

その後色々あって時刻表の世界を離れ、96年には地図業界に入っていた。
そして99年だっただろうか、国土地理院の仕事で神戸地区の1万分の1地形図の修正をやった際に、現地調査で1週間ちょっと神戸に滞在して、西宮、芦屋、東灘あたりを歩き回った。
復興が少しずつされてきた時期で、あまりにも現況が変わり過ぎていて大変だった。

1万分の1地形図は家1軒1軒が表現されているのでほとんど全部変わっているので、もはや修正とは言えないレベルだった。
図化は空中写真からするとはいえその写真撮影時からもどんどん変化している。
西宮北口の北側で復興に伴う大規模な再開発があって、現況が元の地図とも空中写真とも異なって、どこをどう直せばいいのか、それ以前にあたりがなくてどこがどこなのかもわからないようあ状態になっていて、現地で途方に暮れていたのが思い出される。

徐々に入居者が減りつつあった仮設住宅を表現するかしないかを担当と議論したのも覚えている。
仮設住宅ごとに使用しているかしいていないかを調査するように指示を受けていて、それもなかなか大変だった。
もちろん図化では空中写真に写っているものは全て描かれているので、現地調査は人が住んでいるかどうかを調べた。
ところが納品間際に仮設撤去の発表があって、結局すべて地図上から削除することになった。

このように日々状況が変わっていくのが復興というものなのだということを知った。
そしてそれは後の東日本大震災でも同じだった。

神戸は好きな街だったこともあり、震災前もよく訪れて歩き回っていた。
それだけに震災後に訪れた際の変わり果てた街の姿には覚悟はしていてもショックを受けた。
そしてさらに復興期、現在と現地を訪れるたびに変わっていく街を見ていると色々と感慨深いものがある。

よそ者で瞬間瞬間しか見ていないわけだから、余計に変化が印象に残るのかもしれない。
神戸を初めて訪れる方は是非「人と防災未来センター」に行って欲しい。
神戸の街と震災がきちんとアーカイブされていて、分かりやすい。

思えば22年前のこの日までは、地震や災害のことなんてあまり考えていなかった。
いつか起こるのだろうな、くらいのものだったし、関西では地震は怒らないという根拠のない都市伝説を特に疑うこともなかった。
まったくもって不勉強だった。
災害を目の当りにして初めて意識が変わったのだと思う。
最初にテレビで見た映像は当時それほどに衝撃的だった。

奇しくもその後地図の世界に身を置くことになった。
自分の地図業界でのキャリアは、阪神・淡路大震災後の、いわゆるGISの普及期と重なる。
そして業界団体のWGのメンバーとして、地図を通じた防災の調査検討作業に関わるようになり、少しずつ災害というものを知るようになった。

メモリアルデーはひとそれぞれの受け止め方があるだろう。
この震災で身内を亡くした方にしてみれば大切な人の命日でもある。
自分にとっては、せめてあの日のことが風化しないよう、振り返りをする日。
神戸のこと、そして災害がどこにでも起こり得ることを忘れないよう。





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Last updated  2017.01.18 02:16:39
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