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テーマ:国際恋愛(198)
カテゴリ:相棒
忘れもしない。私が生まれて初めて自転車に乗った日、それは、私が生まれて初めて救急車で運ばれた日でもあった。 3年前の冬のある日。それまで自転車とはまったく無縁の生活をしていた私は、自転車狂の誰かさんにそそのかされ、自転車に挑戦してみることになった。あてがわれたのは一台の小さな折りたたみ自転車。素敵なデザインで人気の英国製自転車、ということは後になって知ったことだが、デザインに凝りすぎたせいか安定性に欠ける、というのもまた後になって知ったことだった。 そんなことよりも、補助輪なしでいきなり自転車に乗れるようになるなんて、私ってスゴイ――。その自転車にまたがって1分としないうちに、私の頭の中は 「スゴイ、スゴイ、スゴイ」 の一言で埋め尽くされてしまったから、安定性がどうとか、安全性がどうとか、考えてみる余地もなかった。乗れるようになるまで何度も転ぶんだよ、痛いんだよ、と周りの皆から脅されていた私は、サドルにまたがり、ペダルをこぎ出でた瞬間、自分の才能に酔いしれてしまったのだった。 「私って天才♪」。横浜の街を2時間も乗り回すと、その思いはますます強まるのだった。 しかし。早くも、それが崩れる瞬間がやってきた。自分過信のまっただ中にいた私は、車道と歩道の境にある段差を軽々と乗り越えられると信じて疑わなかったのだが、気が付くと、私の体はアスファルトの上に横たわり、次の瞬間には、頭蓋骨を襲う激しい痛みに耐えなければならなかったのだった。 顔はみるみるうちに腫れ上がる。野次馬たちは瞬く間に私を取り囲んだ。誰かが救急車を呼んだ。私たちはあたふたと救急車に乗り込んだ。 そして。結果からいうと、怪我は大したことがなかった。左目から左頬にかけて大きな痣ができたため、外出するたびに、人々の同情とも好奇心ともとれる視線が痛く突き刺さったのだが、それも数週間の辛抱だった。その後、痣は跡形もなく消え、他に外傷はなかったから、後遺症が残ることもなく、私の中には、自転車には気を付けよう、自信過剰には気を付けよう、という教訓だけが残った。 が――。 昨夜。記憶の彼方に葬り去られていたその教訓的事故をまざまざと蘇らせるような出来事が、突如として、起こったのであった。 自転車で遊びにでかけた相棒が、なにやら冴えない調子で、 「落ちちゃった」 とつぶやきながら帰ってきた。なんだ、受験生みたいだな。私はおかしく思いながら奴の顔を見やった……ら……!!! 鼻の上、鼻の穴、鼻の下から、それぞれ出血した形跡があり、ご丁寧にも、顔全体が土気色に変色しているではないか! むほー! どーしちゃったんだ! 訊くと、自転車から落ちたのだという。 って! 言わんこっちゃない!!! 自転車歴35年の相棒は、自分の腕を過信していた。両手放しは当たり前、自転車に乗りながらノートに字を書いたり、重さ10キロはあろうかというエスプレッソマシンを両手で抱えたりというパフォーマンスも朝飯前、自分にできないことはないんだと言わんばかりに、自転車上で、ありとあらゆるアクティビティを繰り広げるのが常だった。私は、コイツは今に泣きを見るぞ、と確信し、ことあるごとに注意を喚起していたのだったが、その脅しの甲斐あってか、今回の事故が起こったのであった。 訊くと、暗闇で道路の段差が見えなかったのだという。気が付いたときには自転車ごと前のめりになっていて、自転車を背負い投げする形で鼻から着陸したのだという。鼻も口も感覚がなく、こりゃダメだ、歯が折れタ、と思ったという。 しかしまわりには誰もおらず、ひとり、出血しながら、4~5キロ先の救急病院まで自転車を急がせたというが、ここからが、相棒のケチたる由縁……じゃなかった、アホたる由縁である。 せっかくたどり着いた病院で、まずは、洗面所に直行し、顔面の血を、綺麗さっぱり洗い流してしまったのである! 受付の応対はずさんなものだったという。って、そらそーだ。病院なんて血を見せてなんぼなのに、それを綺麗にぬぐってしまうなんて! 意識はありますか、と尋ねられ、あります、と答えてしまうなんて! そうして診察もしてもらえず帰された相棒は、その晩、鼻はふくれ、目はふくれ、フランケンシュタインのような顔になってしまった。もともとそれ系の顔ではあったが、愉快なこと、このうえない。消毒スプレーをかけてやったが、それも効果はなかった。 そして一夜明けても、フランケンは、フランケンのままだった。私はフランケンに会社に電話をかけさせると、病院に行かせることにした。あの傷が定着してしまったら大変なことだぞ。 我が相棒に、幸あれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 16, 2005 07:34:39 AM
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