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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:ア~オ
アラン・ドロン、「太陽がいっぱい」で彼は見事な”蝶”に変身した。単に美貌だけと思われていた二枚目俳優の看板を取り払うことに成功したのである。デビューから2年後の59年のことだった。”成功の女神”が微笑みかけたのだ。
送料無料!!【DVD】太陽がいっぱい/アラン・ドロン ドロンは1935年11月8日、フランスのパリ郊外、オー=ド=セーヌ県ソーで生まれた。幼い頃両親が離婚し、母方に預けられたが再婚した義父と合わず寄宿舎に入り、17歳で軍に入隊、第一次インドシナ戦争へ従軍した。 除隊後、人生の突破口になるチャンスを求めてサンジェルマンをさまよっていたドロンは監督のイブ・アレグレ夫人の口ぞえで、映画デビューしたのだ。 「太陽・・・」に続いて、翌年にはイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」でも主役に起用されるなど、次々に有名監督に名指しで指名され、フランスを代表するスターに駆け上った。 「生きる歓び」「太陽はひとりぼっち」「地下室のメロディ」「若者のすべて」など、多数の名作映画に出演した。 28歳のとき、ドロンは女流カメラマンのナタリー・バルテルミー(後の女優ナタリー・ドロン)と極秘に結婚、このとき23歳だった彼女はすでに息子アンソニーを宿していた。 ドロンには家庭こそ安住と幸せをもたらすものに思えたのである。しかし、その幸せははかなく崩れた。結婚から4年後、ドロン夫妻の秘書兼ボディガードをしていたマルコヴィッチが、パリ郊外のゴミ捨て場で惨殺死体となって発見されたのだ。 容疑はドロン夫妻にまで及び、容赦ない誹謗と中傷が夫妻を襲った。幸いドロンの容疑は晴れたものの、今度はマフィアとの関係が明るみに出た。俳優生命は絶たれたかに思われたが、撮影中だった「太陽が知っている」でドロンは役の殺人犯を悠然と演じた。 映画は大ヒットしたが、代わりにナタリーとは離婚、家庭を失ったのである。その後、ミレーユ・ダルクとは長い愛人関係にあった。1987年にドイツ人モデル、ナタリー・ヴァン・ブレーメンと出会いと別れ。ドイツ人のモデル・歌手のニコとの関係も有名である。ニコは長男クリスティアンを生んだ。 それ以後、「暗黒街のふたり」「冒険者たち」「ル・ジタン」など数多くの作品に出演し、98年、「ハーフ・ア・チャンス」を最後に映画界を引退した。 ドロンは実業界に進出、自身の名をブランド名にした香水のプロデュースに全力を傾注、ことに男性用香水SAMOURAI・SHOGUN・47SAMOURAIは日本古来の風土・文化にマッチ、日本でも絶大な人気を博している。現在も73歳で健在。 P最大17倍!VIP 【アランドロン】 サムライ EDT SP 100ml 83%OFF テスター【アランドロン】ショーグンEDT SP 100ml【cosme0918】 P最大17倍!【アランドロン】 サムライウーマン EDT BT 5ml【ミニ香水 ミニボトル】 窮地を乗り越え、自分の力で道を切り開いてきたドロンはこう語る。 「野心とは美徳で、欠点では決してない。野心がなくなれば、人間は生きていけない・・・」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.09.19 16:00:32
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