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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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大西俊郎@ リンク了解しました 中々凝ったブログですね。勉強になります。
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カテゴリ:ナ~ノ
ナタリー・ウッド、彼女を思うとき、「ウエストサイド物語」でリチャード・ベイマーと一緒に歌った”トゥナイト”を思い出す人が多いのではないだろか。それともジミイ・ディーンと共演した「理由なき反抗」のカーレース(チキン・レース)の旗振り役か、はたまた「草原の輝き」での白いドレス姿のナタリーだろうか。

いずれにしても彼女は”愛らしさ”の最たる清純派だったように思う。

  


彼女はカリフォルニア州サンフランシスコで、ロシアから移民してきた両親の間に三人姉妹の次女として生まれた。妹は「007 ダイヤモンドは永遠に」に出演した女優のラナ・ウッド。

ナタリー4歳の時、アーヴィング・ビシェル監督のロケ隊が近くにやってきた。彼女は撮影風景を夢中で見詰めた。それを目に留めた監督に少女は歌を披露、監督は即興で1シーン付け加えこれが彼女の映画デビューとなった。

人の特徴を真似るのがうまい少女は、5歳の時から6歳年上のエリザベス・テイラーを目指していた。彼女はこの頃からハリウッド女優の名を覚えて姉や友達と芝居ごっこをして遊んでいたという。

その一方、勝気でお転婆な彼女は、男の子をいじめては泣かせていたそうである。おしゃまなナタリーに食われて泣いた俳優は数知れず、怱々たる主演俳優も多かったというから驚く。

1943年から映画に出演しはじめ、シャーリー・テンプルの次の世代の人気子役として、1947年の「三十四丁目の奇蹟」で人気スターとなる。



1955年の「理由なき反抗」ではアカデミー助演女優賞にノミネートされた。

子役から名を成したナタリーはその愛くるしい笑顔とつぶらな瞳で世界中を魅了したのだ。

彼女は演技の天才だった。24歳ですでに35本の映画に出演、前途は洋々たるものであった。

彼女は恋愛においても早熟だった。19歳で8歳年上のロバート・ワグナーと結婚したが、5年後に離婚、ウォーレン・ビーティとの不倫も話題に上った。常にトップスターを目指して邁進する彼女は「ガリガリ亡者」と揶揄されても意に介さなかった。

ウッドは恋多き女優としても有名で、エルヴィス・プレスリー、デニス・ホッパー、レイモンド・バー、クリストファー・ウォーケンらと派手に浮名を流した。

そして、離婚から10年の72年、ナタリーは再びワグナーと再婚した。

仕事ではフォードの「捜索者」、「グレートレース」「雨のニューオリンズ」、そして遺作となった「ブレインストーム」などである。

   

悲劇は突然やってきた。81年、「ブレインストーム」の撮影の合間に、共演者のクリストファー・ウォーケンを誘い、ワグナーと三人でサンタ・カタリナ島を訪れた。

ナタリーは夜中にボートに乗って行方不明になり、翌朝、溺死体で見つかった。世界中が”青春の恋人”の死を悼んだ。

1981.11.29、享年43歳のまだ若い死であった。天国からの迎えが早すぎたように思える。死の真相は今も謎だ。結婚3度、娘が一人いる。





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Last updated  2009.09.22 12:09:02
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