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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:サ~ソ
【送料無料選択可!】HOLLYWOOD REMEMBERS スティーヴ・マックィーン・フィルムス / 洋画 スティーヴ・マックィーン、彼の持つ孤独には、決して人を寄せ付けぬ冷たさがある。マックィーンの少年時代の過酷な運命は、並の少年の我慢の限界を遥かに超えるものであったろう。 彼は1930年3月24日、インディアナ州インディアナポリスの生まれ。生後6ヶ月で母は大酒のみの父と離婚、それが彼の不幸な人生の始まりだった。その後、母は再婚したが、その継父とそりが合わず、14歳で家を出た。 ロスの不良少年として逮捕歴4回、約1年間の感化院生活を送る。その後、ニューヨークからドミニカ、テキサス、ニューヨークと放浪の旅を続けながら転々と職を変える生活だった。 17歳で海兵隊へ入隊。除隊後はバーテンダーやタクシードライバー、用心棒などで生計を立てる。俳優へのきっかけは名門ネイバーフッド・プレイハウスに、3000人の中の72人に選ばれたことだ。そして、アクターズ・スタジオを経てブロードウェイにデビューする。 舞台経験を経たあと、56年に「傷だらけの栄光」のエキストラとして映画デビュー。彼の大胆な演技は早くから注目された。1958年にテレビ出演した「拳銃無宿 」のヒットにより一躍有名になり、余勢を駆って「荒野の七人」「大脱走」「華麗なる賭け」、など数々の映画に出演、押しも押されもしない人気俳優となった。 チンパンジーのような特異な顔立ちにもかかわらす、作品には恵まれていた。「テレビが生んだ最大のスターと言われ、以後も「ネバダ・スミス」「ブリット」「栄光のル・マン」と、危険なシーンをスタントマンなしで出演し、映画をより一層面白いものにしている。 また鬼才サム・ペキンパーの「ゲッタウェイ」では無表情なマックィーンのアクションに圧倒された。「タワーリング・インフェルノ」も印象深い作品である。 1979年に西部開拓時代に実在した賞金稼ぎをモデルにした「トム・ホーン」の撮影中、アスベストが原因の中皮腫を発症していることが見つかった。 翌1980年に「ハンター」で主演するものの、その時点で余命数ヶ月を宣告。中皮腫の原因は海兵隊時代に乗務した戦艦の船室の内装に多用されたり、趣味のレースで当時使われたアスベスト製の耐火服・耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸引したのが原因ではないかといわれている。 そして遂に1980年11月17日、天国からの迎えがやってきた。満50歳の早すぎる死であった。 私生活では72年15年連れ添ったニール・アダムスと別れ、「ゲッタウェイ」と共演したアリ・マックグロウと電撃結婚、77年離婚した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.01 12:48:48
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