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シャーリー・マクレーン、大変な親日家で、82年に離婚した舞台プロデューサー兼監督のスティーヴ・パーカーとの間に生まれた娘にサチコと日本名をつけている。
アメリカでは爆発的な人気を呼んだスーパー・スターだというのに、日本ではいまいち人気が低いのは何故だろうか。理由は良くわからない。 彼女は1934年4月24日、バージニア州リッチモンドで生まれた。ワシントン交響楽団指揮者アイラ・ビーティが父、女優で演技コーチを母に持つ。 バレエ学校で学び、16歳でブロードウェイにダンサーとしてデビュー。映画デビューは1955年のアルフレッド・ヒッチコック作品「ハリーの災難」。コケティッシュな魅力で人気を博した。彼女が人気を確定させたのは、何といっても「アパートの鍵貸します」だ。彼女のレモンに負けない喜劇のセンスが横溢していた。それにビリー・ワイルダーのロマンティック喜劇「あなただけ今晩は」、「カン・カン」ではダンスの特訓を受けて踊りまくった。 彼女は自分の信念を貫くためにはどこまでも戦い抜く鉄火女で、信義に厚く間違ったことは大嫌いな女性だ。多くの作品に出演し、日本ロケ作品に「青い目の蝶々さん」がある。 1983年には「愛と追憶の日々」でアカデミー主演女優賞を受賞。ヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭でもそれぞれ2回、女優賞を受賞している。 感動作「愛と喝采の日々」とアカデミー受賞作品「愛と追憶の日々」、「女と女と女たち」「何という行き方!」など面白い作品の多いのも彼女の特長かもしれない。 1983年に刊行され世界的なベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』をはじめ、多くの精神世界に関する著作がある。彼女の精神世界を覗いて見るのも参考になる点が多いのではあるまいか。 アウト・オン・ア・リム 「西の魔女が死んだ」では娘のサチ・パーカーが日本映画でデビュー、「俺たちに明日はない」のウオーレン・ビーティは実弟である。75歳で鉄火姐御は健在だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.08 12:14:04
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