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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:サ~ソ
◆一生涯保証付◆[直筆サイン入り写真] (ロッキー ROCKY) シルヴェスター・スタローン & タリア・シャイア
シルヴェスタ・スタローン、彼の名を忘れても、「ロッキー」という映画のことはほとんどの若者が知っているだろうと思う。 古くはカーク・ダグラスの「チャンピオン」、ポール・ニューマンの出世作「傷だらけの栄光」など、ボクシングの世界を描いた作品は数多いが、「ロッキー」の甘いハッピーエンドは、どんな若者にもすんなり受け入れられる不思議な魅力が存在していた。 ロッキーロッキー2ロッキー3 シルヴェスタはボクシングというよりも、ボディビルをやっていたと言う方が似合いの体をしているが、鍛え上げた体をしているのは間違いない。これまで全く無名の彼が大成功を成し遂げたのは何故か。 この”アメリカン・ドリーム”の物語は、建国200年祭に湧くアメリカ社会に拍手喝采で迎えられ、大ヒットした。それまで国民の間に鬱屈していたベトナム戦争終結後の国家、政治などへの不信感を、見事に拭い去る”無名のボクサーの成功物語”が、彗星の如く煌めいたのである。 75年のある日、建国200年祭の記念イベントとして企画されたボクシングのタイトルマッチを見ていたシルヴェスタは、突然インスピレーションを得た。リングで対戦していたのは、モハメド・アリと挑戦者チャック・ウェブナー。 ウェブナーの戦いぶりに共感したシルヴェスタが、愛と栄光を手に入れるストーリーをわずか3日間で書き上げたのである。それまでクズ同然に扱われていた無名俳優の男が”天恵”を得た瞬間だった。 彼は脚本をUA社に持ち込んだ。条件は自分に演じさせることだった。サクセスストーリーに惚れ込んだ製作会社は当初2万5千ドルの値をつけたが、主役には同意しなかった。貧しい生活のなか、妻の出産を控えていたシルヴェスタにとって、それはノドから手がでるほど欲しい金だった。しかし、彼ははねつけ「主役は自分でなければ売らない」と言い張った。 脚本の値段は最終的に36万ドルまでつり上がったが、彼はあくまでもクビを縦に振らず、会社は渋々、主役をスタローンに決定した。 「ロッキー」は”スター不在”のまま、格安の製作費110万ドルでクランクイン、製作日数28日間で完成した。低予算に貢献したのが、ジョン・G・アヴィルドセン監督。彼はハリウッドで”低予算映画の巨匠”という異名を持つ男だ。 「最後のゴングが鳴っても、まだ立っていられたら、俺がゴロツキじゃないってことを、初めて証明できるんだ」 これは試合の前夜、試合にかける熱い思いを恋人エイドリアンに打ち明ける場面のセリフだ。 長い下済み生活からの脱却をこれ一本に懸けたシルヴェスタの入魂の演技は、全米興行収入第1位、アカデミー作品賞、監督賞、編集賞に輝く歴史的な作品となって結実した。 会社はシリーズ化を決定、彼は一躍”アメリカン・ドリームの体現者”となったのである。 シルヴェスタ・スタローンは1946年7月6日、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区生まれ。 身長177センチ。 父はイタリア系アメリカ人で美容師、母はアイルランド系アメリカ人で、元ダンサーで占星術師として著名なジャッキー・スタローン。弟のフランク・スタローンも俳優。次男のセイジ・スタローンは俳優・監督。 彼はニューヨークの無法地帯ヘルズ・キッチン(「地獄の台所」、マンハッタンの西34丁目から西59丁目にかけてと8番街からハドソン川河畔までの区域、アイリッシュとシチリアン多数在住)に生まれ育つた。 12歳の時に両親が離婚したことを切っ掛けに次第に素行不良になり、小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。 体育奨学金を得て入学したレザンアメリカンスクール在籍時に演劇に興味を持ち始め、マイアミ大学の演劇学科に入学するも授業料の支払いが困難となり2年で中退。 23歳で生誕地のニューヨークに戻り本格的に俳優を志すも、与えられる役は常に台詞の少ない端役ばかりでポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。 そして、75年、29歳の時の”天恵”がメガスターへの出発となったのだ。2作目からは監督までやり、今やロッキー・シリーズはファイナルを迎えたのだ。 ランボー 彼はもう一つのシリーズもの、「ランボー」シリーズでも快調である。今やアクションスターとして押しも押されもしない存在だ。 結婚歴は下積み生活中にサーシャ・チャックと結婚。二人の男児をもうけた後、離婚。1986年にブリジット・ニールセンと再婚し翌年離婚(「コブラ」で共演した仲であった)。 1996年に女優兼モデルの女性ジェニファー・フレイヴィン (Jennifer Flavin) との間に一女をもうけ、1997年結婚。2002年5月に三女が誕生した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.24 19:52:20
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