|
カテゴリ:ラ~ロ
ライザ・ミネリ Liza Minnelli / Best Of (輸入盤CD)
ライザ・ミネリ、彼女は毛並み抜群、素晴らしい星の下に生まれ育った。2歳で早くも母親と共演している。 映画「キャバレー」の踊り子サリーは圧巻だった。決して美人ではない彼女が踊り出すと見る者を圧倒せずには置かなかった。ダンサーらしいバネのきいた美しい肢体、踊りの中で表現する喜怒哀楽、母を大きく乗り越える世界のエンターテイナーの誕生だった。 ライザ・ミネリ主演!アカデミ-8部門受賞!ミュ-ジカルの快作! 彼女は1946年3月12日、カリフォルニア州ロサンゼルスで、イタリア系アメリカ人映画監督のヴィンセント・ミネリと女優のジュディ・ガーランドの間に生まれた。1949年、わずか2歳で映画『Good Old Summertime』でデビューし、母ジュディと共演している。 艶やかな黒髪、小さく丸い顔からこぼれんばかりの大きな瞳、愛らしい豊かな表情に誰もが魅了された。ライザは生まれながらのハリウッド・プリンセスだった。 両親はライザを慈しんだ。特に父ミネリは彼女を溺愛した。一方で両親の大喧嘩や母の自殺騒ぎを見て育った彼女は、母の薬物依存症に小さな心を痛めていた。そして51年、5歳のとき両親は離婚した。 彼女の恵まれた才能は早くから開花した。13歳のときミュージカルの大スター、ジーン・ケリーとテレビで共演したが、彼は、ライザの才能と度胸の良さに驚嘆したそうだ。 子供のときから独立心旺盛だった彼女は、翌年、ニューヨークで舞台デビュー。彼女は”親の七光り”を嫌い、決して両親の人脈に頼ろうとはせず、独力で自分の未来を切り開いて行った。 1963年、ブロードウェイデビュー、その後1965年にブロードウェイミュージカルの『Flora the Red Menace』でトニー賞の主演女優賞を受賞した。19歳での受賞には賛否両論があったが、彼女の活力ある踊りには誰もが賛辞を惜しまなかった。 やがて、彼女は試練のときを迎えた。舞台「キャバレー」のオーディションを受けたが、不合格。その後、1967年に映画女優として本格的にデビューし、1972年に公開されたアメリカ映画「キャバレー」で主演を務め舞台での雪辱を果たしたのである。 ライザは「キャバレー」で1973年のアカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞をダブル受賞するなど、その歌唱力と演技力が高い評価を受けた。 「私、大スターになるわ。酒と男で身を滅ぼさなければね」 映画「キャバレー」のなかで踊り子のサリーはこう呟く。そしてその通りライザ・ミネリは世界へ飛翔したのだ。しかし、やがて、彼女は酒と男、そしてドラッグに依存するようになる。母ジュディと同じように・・・。 そして、彼女が彼女らしさを発揮したのは、77年の「ニューヨーク・ニューヨーク」だった。続いて「サイレント・ムービー」であろう。 アルコール依存症と薬物中毒は彼女を苦しめた。一時は引退の危機さえ囁かれたが、カムバックし再び第一線に復帰した。しかし、2001年にウィルス性の脳炎に罹り、声がでなくなるなど再び歌手活動のピンチを迎えたものの、再び奇跡的に回復、現在もアメリカを代表する歌手、女優として舞台を中心に活躍中である。 私生活では三度の結婚と離婚を経験している。彼女はまだ63歳、またダイナミックな踊りを見せてほしいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.01 13:21:23
コメント(0) | コメントを書く
[ラ~ロ] カテゴリの最新記事
|