リリアン・ギッシュ 25歳で12歳の少女を演じきった女優
リリアン・ギッシュ、と云っても記憶にない人がほとんどだと思う。無理も無い、彼女は無声映画時代のスターだから。彼女は映画の父と呼ばれたD・W・グリフィスの名作「散り行く花」で12歳の少女の役を演じた。製作当時、実年齢25歳だったにも関わらず監督に説得されて演じきったのである。散り行く花彼女は、1893年10月14日オハイオ州スプリングフィールドで生まれた。母方の先祖は第12代米国大統領ザカリー・テーラー(イングランド系アメリカ人)。父方の先祖はフランス系出自との説もあったが、近年の伝記では、ドイツのライン川付近のザール地方のヴォルファースヴァイラーにいたフランス系の家系で、当地からアメリカに移民してきたことが指摘されている(ドイツ系アメリカ人およびフランス系アメリカ人)。母親が女優だった縁で、5歳から舞台に立っていた。妹のドロシーも女優。友人だったメアリー・ピックフォードを訪ねてバイオグラフ社を訪れた際、彼女にD・W・グリフィスを紹介され、母と妹と共に映画に出ることになった。その後もグリフィスとコンビを組み、サイレント映画を代表する大作「國民の創生」や超大作「イントレランス」に出演した。D・W・グリフィスに対して、彼女は一生敬愛の念を持っていた。 1919年の「散り行く花」では、幸薄い少女ルーシーを熱演。この作品により映画は第八芸術として世に認められたと言われる。1920年には、妹ドロシー・ギッシュ主演の「亭主改造」を監督するも、監督作品はこの一作のみである。なお、ドロシーとは私生活でも大変仲が良く、他の女優ではヘレン・ヘイズなどとも親交が深かった。1921年の大作「嵐の孤児」を最後にグリフィスの元を離れた後、初期メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのスターとして、ヴィクトル・シェストレム監督作品の「真紅の文字」(1926年)や「風」(1928年)に出演。サイレント期を代表する女優として活躍する。その他、彼女の出演作品としては「ジェニーの肖像」「狩人の夜」「白昼の決闘」「許されざる者」などがある。 1930年代以降は舞台出演が主になっているが、時折映画にも出演。1987年公開の「八月の鯨」(リンゼイ・アンダーソン監督)では、90歳を超えているとは思えない若々しい容姿で瑞々しい演技を披露した。1970年には生涯の業績を評価されてアカデミー名誉賞を受賞。また、1984年にはアメリカ映画協会から生涯功労賞を受賞している。1999年には、同じくアメリカ映画協会が選出した「最も偉大な女優50選」で第17位に選出された。1993年2月27日に老衰で死去。生涯独身であった。毎年10月14日の彼女の誕生日にはニューヨーク近代美術館で、彼女の作品の回顧上映会が開かれている。