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カテゴリ:サ~ソ
シャーロット・ランプリング、彼女は「地獄に堕ちた勇者ども」で運命に弄ばれ、悲壮な死を遂げるレディ役を演じ、見事、国際女優としての第一歩を踏み出した。 地獄に堕ちた勇者ども イタリアを代表する名監督の出演依頼を受けたとき、彼女はしりごみした。「20歳そこそこの私に30歳の子持ちの役は無理」というのが、断りの理由だったそうだ。 巨匠ヴィスコンティは、彼女の瞳の奥に潜む”破滅の翳り”を見て「私の映画にどうしても必要だ」とシャーロットを説得したのである。 彼女は1946年2月5日、英国ケンブリッジの近郊で、軍人の父親ゴドフリー・ランプリングと画家の母親の間に生まれた。NATO(北大西洋条約機構)の将校になった父に従い、ヨーロッパを転々とする少女時代を送ったシャーロットは同世代の友達が出来ず、無邪気な子供の世界を知らずに育った。 イギリスとフランスで教育を受け、語学も堪能な彼女は、ロンドンで秘書として働いた。そして、18歳になったとき高い頬骨と美しい脚を武器にイギリスでモデルとして活躍を始める。 彼女の”鋭すぎる目”は魅力ともなり、イギリスのコメディ映画で女優デビューする。そして、24歳でのヴィスコンティとの出会いが、彼女の後の運命を決めた。 国際的な女優として着実な歩みをしていたシャーロットが、初めて”スキャンダル”に襲われたのは、71年のことだった。 彼女が2人の男性と暮らしていることをマスコミに暴露されたのだ。世間の常識外の大胆な三角関係を、シャーロットは「これが自然な生活」と少しも意に介さなかったという。 この年、彼女はイタリア映画「さらば美しき人」に出演、美しい肢体を惜しげもなくスクリーンにさらし、”背徳の美”を熱演、物議をかもした。更に「愛の嵐」での迫真の演技で”退廃的な女優というイメージは決定的なものとなった。 さらば美しき人愛の嵐 77年、彼女は有名音楽家モーリス・ジャールの息子でシンセサイザー奏者のジャン・ミシェル・ジャールの子供を不倫の末に出産、またもやゴシップ誌の餌食となった。 だが、彼とは夫と別れて再婚、99年に別れた。彼女には3人の子供が出来ている。シャーロットの他の作品にはやはり背徳の香り高いものが多いようだ。 主なものに、「エンジェル」「スイミング・プール 」「ある公爵夫人の生涯」「トレンチコートの女」などその数は多い。 ”背徳の君”も63歳、デカダンスからはもう脱皮してもらいたい気分だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.07 19:56:39
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