|
カテゴリ:ア~オ
アン・バンクロフト、彼女の作品ではダスティン・ホフマンを誘惑し、ベッドに誘い込む「卒業」のロビンソン夫人の役と、「愛と喝采の日々」のビルの屋上でシャーリー・マクレーンと女同士の強烈な殴り合い、ならぬ叩きあいが印象に残っている。
勿論、彼女の出世作である「奇跡の人」の家庭教師、サリヴァン先生の役を忘れてはなるまい。 卒業愛と喝采の日々奇跡の人 彼女は1931年9月17日、ニューヨーク市ブロンクス区で生まれた。両親共にイタリアからの移民だった。 アンはブロンクスの高校を卒業後、女優になる決意を固め、American Academy of Dramatic Arts、アクターズ・スタジオ、アメリカ映画協会の監督ワークショップなどで演技の初歩を懸命に学んだ。 1951年よりテレビに出演し始めたが、ハリウッドではあまり役がつかず、ニューヨークに戻った。 1958年にヘンリー・フォンダ主演の舞台『Two for the Seesaw』に出演し、トニー賞助演女優賞を受賞した。そして、1959年に戯曲『奇跡の人』でタイトルロール、アン・サリバン役をつとめ評判となる。 1960年、二度目のトニー賞を受賞し、1962年に映画化された「奇跡の人」で、1962年のアカデミー主演女優賞を受賞した。彼女は”奇跡の人”になったのである。それもこれも鍛え上げた演技力の賜物であったろうと思う。 彼女の主な出演作品には、「チャーリング・クロス街84番地」「エレファント・マン」「メル・ブルックスの大脱走」「心のままに」など多数ある。 また彼女は1964年の「女が愛情に渇くとき」でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞してもいる。アンは演技派、実力派として多くの監督から支持されていたようである。 しかし、彼女も人の子、2005年6月6日、満73歳で子宮癌のため、ニューヨーク市内の病院で死去した。 私生活では1953年に最初の結婚をするが、1957年に離婚している。離婚後、暫く独身生活を送っていたが、ペリー・コモの番組で出会った映画監督のメル・ブルックスと1964年に再婚した。1972年に生まれた息子マクシミリアンは脚本家となっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.23 12:02:51
コメント(0) | コメントを書く
[ア~オ] カテゴリの最新記事
|