959144 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

大西俊郎

大西俊郎

Calendar

Favorite Blog

進捗1 扇形模様を幾… New! PieWieさん

小学校でハープコン… 47弦の詩人さん

おとこの楽天活用術… にぃさん★さん
ニューコードNLPコー… ビジネス加速専門家もりけんさん
大阪日記 毎日ミナコさん

Comments

酒天倶楽部@ 追伸  楽天ブログユーザーでなければコメント…
酒天倶楽部@ 初めまして  花登筺を調べていて、貴ブログ『私と…
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
大西俊郎@ リンク了解しました 中々凝ったブログですね。勉強になります。
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…

Freepage List

Category

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2009.12.30
XML
カテゴリ:ラ~ロ
ロバート・ミッチャム、彼の映画で見た忘れられない映画、それは「眼下の敵」であろう。駆逐艦の艦長とUボートの艦長の死力を尽くした戦いが繰り広げられる。

「レーダー電波の向こうに頭脳を感じる」

ミッチャム扮する駆逐艦の艦長はレーダーの目を誤魔化すUボートの追跡をあくまでも命ずる。

「あいつは悪魔だ!何とかして奴を切り抜けるか、殺すかだ」

クルト・ユルゲンス演じるUボートの艦長が喚く。そして、巧妙な作戦で駆逐艦の追跡を交わす。

水深310メートルの海中と海上での息詰まる持久戦が火花を散らせる。まさにヒューマニズム溢れる見事な傑作である。


 

彼は1917年8月6日、スコットランド=アイルランド系と父親とノルウェー系の母親の間に、コネチカット州で生まれた。1歳のときに列車事故で鉄道員の父親を失い、一家は母親の実家のあるニューヨーク州に移り住んだ。

子供の頃から家庭に恵まれず、すさんだ青春を送った。14歳のとき船員になろうと家を出たが船に乗れず、炭鉱夫、排水溝夫などの肉体労働で各地を回った。

その後、プロボクサーとなって27試合に出場した。彼のあの眠たそうな目はこの時に顔を殴られた為に出来たものだそうである。

1940年に学生時代の同級生ドロシー・スペンサーと結婚し、南カリフォルニアにあるロッキード社の飛行機工場に就職する。

その頃、地元のアマチュア劇団に出会い、俳優としてのキャリアをスタートさせた。劇団で演技の経験を積み、クラブの歌手だった姉のマネージャーの紹介で映画界入りして、1942年には映画『Border Patrol』で映画デビューした。

1944年にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社の「東京上空三十秒」に端役として出演、翌年、従軍記者アーニー・パイル原作の「G・I・ジョー」ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。



1945年には徴兵されるが、終戦のため兵役期間は僅か数ヶ月で終了。映画界に復帰し、1947年の「過去を逃れて」では悪女に翻弄される私立探偵を好演し、これにより無表情でクールなタフ・ガイとしてのイメージを築き上げた。

その後も、異色ウェスタン「追跡」、ユダヤ人差別問題にメスを入れた問題作「十字砲火」などの話題作に出演して頭角を現す。眠たそうな瞳を擁した顔立ちに加え、がっしりとした体格を武器に戦後のスクリーンを賑わせたタフガイ俳優で、スリーピング・アイという異名をとった。



さらに1950年代前半にはスターダムのトップスターに登りつめ、「帰らざる河」でマリリン・モンローと共演した。そして、血も凍る「狩人の夜」、戦争スペクタクル巨編「アンツィオ大作戦」、人間ドラマの傑作「海の荒くれ」、極限下の愛を描いた「白い砂」など、名作、異色作が多数ある。



それとデヴィッド・リーンがミッチャムと紡ぎ出した傑作、「ライアンの娘」は長く記憶に残る一編だといえるだろう。これは人間の機微に重点を置いた壮大な物語である。他にも大作として「史上最大の作戦」がこれも永遠に残る名画といえる。

ライアンの娘

晩年は肺癌を患ったが、病状をおして映画に出演を続け、孫娘キャリーとの共演を実現した後、1997年7月1日、呼吸器疾患が原因で天国へ上がって行った。一人の妻だけを愛し続けたタフガイ、享年79歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.12.30 15:39:11
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X