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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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カテゴリ:ハ~ホ

ボブ・ホープ / Thanks For The Memories 輸入盤 【CD】

ボブ・ホープ、喜劇役者として有名な彼の名を忘れてはなるまい。私が初めて彼の映画を見たのは中学2年生のとき、学校の帰りだったと思う。映画は「腰抜け二挺拳銃」だった。

今見返すと面白くも何ともないのだが、当時の館内は爆笑に次ぐ爆笑だったように思う。私も大口開いて笑っていた。面白かったのはボブがインディアンに捕まり、股裂きの刑に処せられル場面だ。2本の樹の枝に脚をくくりつけ、インディアンが斧で縄を切る。

宙を飛んで消えるボブ、「ヘルプ~ヘルプ~」と樹のてっぺんから声がする。今にも折れそうな木にしがみついて喚いているボブのおかしさ。

「バッテンボ~」の歌は大流行したものだ。ラストシーンは馬車に乗ったボブとジェーン・ラッセルが鞭を当てると、ジェーンだけが馬に引きずられて行くシーンでENDが出る。




彼はボブ・ホープ(Bob Hope)の名でよく知られるイギリス生まれのアメリカのコメディアンである。

ボブは1903年5月29日、ロンドンのエルサムで、七人兄弟の五番目として生まれた。父親のウィリアム・ヘンリー・ホープはウェストン・スーパーメア出身の石工で、母親のエイヴィス・タウンズはウェールズ出身のライトオペラ歌手だった。

一家はウェストン・スーパーメア、ホワイトホール、ブリストルのセント・ジョージで暮らし、その後1907年にアメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドに移住する。ボブは1920年にアメリカ合衆国の市民権を得たそうである。

ボブは最初の妻グレース・ルイーズ・トロクセルと1933年1月25日に結婚した。彼女はホープの1928年からのヴォードヴィルのパートナーだったが、二人はすぐに離婚。

そして二番目の妻ドローレス・デフィーナと、1934年2月19日に結婚している。彼女はブロンクス出身で、ドローレス・リーデという芸名でナイトクラブで歌っていた。

ドローレスの出演していたマンハッタンのナイトクラブ、ザ・ヴォーグで出会った彼らは、二ヶ月後には結婚していたそうである。二人はイリノイ州エヴァンストンの孤児院から四人の子供を引き取り、子どもたちはホープの死まで共に暮らしたという。

彼が映画界で名を上げたのは、1938年のミュージカル映画 「百万弗大放送」で演じた、豪華客船の船内放送アナウンサー役が最初である。

ボブの最も有名な作品としては、ビング・クロスビー、ドロシー・ラムーアと競演したパラマウント映画のドタバタロードムービー「珍道中シリーズ」 (1941-) があげられる。「珍道中」シリーズには、「アラスカ珍道中」「バリ島珍道中」「アフリカ珍道中」「ミサイル珍道中」など多数あり、ボブとクロスビーの掛け合い、楽屋落ちギャグを連発したことで人気を博し、また歴史に残るスタンダードナンバーを数多く生み出している。

   

彼は第二次世界大戦勃発以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争から、湾岸戦争まで、約60年間に亘っておよそ60回の慰問ツアーを行っている。この慰問活動は、軍隊に志願入隊しようとしたところ、「エンターテイナーとして兵士を楽しませることがより役に立つ」と諭されたことに始まる。おそらくは、史上もっとも熱心に軍人慰問活動に取り組んだ芸能人の一人だろう。
 
彼の他の作品には「腰抜け二挺拳銃の息子」「腰抜けモロッコ騒動」などがある。

 

また、ボブ・ホープは熱心なスポーツファンとして有名で、プロ・ボクサーの経験があり、ハスラーでもあり、フットボールは見るだけでは飽きたらず、クリーブランド・インディアンズおよびロサンジェルス・ラムズを共同所有すらしたという。

ゴルフファンとしても有名で、PGAツアーの出場経験もあり、彼にちなんで命名されたボブ・ホープ・クラシックはなんと44年の歴史を刻んでいる。

さらに、アイゼンハウアーからジョージ・W・ブッシュまで、アメリカのほぼすべての大統領とゴルフをプレーしている。1983年に世界ゴルフ殿堂入りしたというのだから、大変なものである。

ボブは非常な長寿であったので、生前の死亡記事という類い希な経験を2回もしている。1回目は、1989年、AP通信社により誤報がなされ、アメリカ下院で追悼演説が行われる椿事となった。2回目は、有名人の死亡記事の準備稿が、ミスにより出稿になってしまったそうだ。

だが、当のボブは一向に「くたばる」こともなく、2003年5月29日には、100歳の誕生日を祝った。それから2か月後の2003年7月27日、午後9時28分に、肺炎のため自宅で死去した。

娘のうちの一人によれば、臨終にあたって埋葬法を尋ねられた時、彼は「何かびっくりさせてくれ。"Surprise me." 」と妻に伝えたとのことであった。まさに巨星落つという感じであっただろうか。





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Last updated  2010.01.02 17:48:28
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