|
カテゴリ:ア~オ
ヴェラ=エレン、彼女の名をミュージカル映画ファンなら、忘れることはないだろう。「ホワイト・クリスマス」ではローズマリー・クルーニーと演じた姉妹役で見事な踊りを見せてくれた。
ホワイト・クリスマス この映画のラスト・シーンは感動的だった。大戸を開けると雪、雪、雪の一面の銀世界、その雪が私には美しく輝いて見えた。 彼女は1921年2月16日、シンシナティの郊外、オハイオ州ノーウッドでドイツの移民の子孫であるマーティン・ローエとアルマ・キャサリン・ウエストメイヤーの間で生まれた。本名はヴェラ・エレン・ウエストマイヤー・ローエ。 彼女は9才でダンスを始め、上達が早かった。16歳の時Major Bowes Amateur Hourで勝ち抜き、プロとして活動を始めた。 1939年、18才でジェローム・カーンとオスカー・ハマースタイン2世のミュージカル『Very Warm for May 』でブロードウェー劇場でデビューした。 彼女は背が高くなかったが、ラジオシティ・ミュージックホールのThe Rockettesで最も若いメンバーの1人となった。それくらい彼女の踊りには迫力が漲っていた。 ブロードウェイの『パナマ・ハッティー』、『バイ・ジュピター』、『コネティカット・ヤンキー』で演じていた所をサミュエル・ゴールドウィンに見出され、1945年の映画「ダニー・ケイの天国と地獄」に出演。ダニー・ケイとヴァージニア・メイヨの敵役を演じることになる。 作品は好評で彼女は「ワーズ&ミュージック」(1948年)、「オン・ザ・タウン」(1949年)とジーンケリーの相手を務め見事なデュエットを踊って見せてくれた。また、「銀の靴」、マルクス兄弟の最後の映画「ラヴ・ハッピー」(1949年)にも出演している。 「土曜は貴方に」(1950年)と「ベル・オブ・ニューヨーク」(1952年)でフレッド・アステアと並び主役となり、彼のダンス・パートナーになった。 「ホワイト・クリスマス」(1954年)でビング・クロスビーと、「Call Me Madam 」(1953年)、「Let's Be Happy 」(1957年)でドナルド・オコーナーと共演している。 1950年代、彼女は「ハリウッドの最も細いウエスト」と言われ拒食症で苦しんだと言われる。摂食障害により彼女の実際の年齢より上に見えるため、「ホワイト・クリスマス」の彼女の衣装はローブとナイトウェアを含み全て首を覆うようになっていた。彼女は1957年に映画界を引退した。 私生活ではヴェラ=エレンは二回結婚。1941年から1946年までの最初の夫はダンサー仲間のロバート・ハイタワー。1954年から1966年までの2番めの夫は、大富豪ビクター・ロスチャイルド。どちらの結婚も離婚で終わったのは不幸である。 ロスチャイルドとの結婚中、娘を出産しビクトリア・エレン・ロスチャイルドと名付けたが、1963年乳幼児突然死症候群で死亡。 彼女は子供の死後、公の場から姿を消した。ショックで自身の姿を見せるに忍びなかったのであろうか。1981年8月30日、彼女は失意のうちにロサンゼルス州カリフォルニアでガンで死亡した。60歳の末期だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.05 12:26:12
コメント(0) | コメントを書く
[ア~オ] カテゴリの最新記事
|