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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:ア~オ
エディ・アルバート、彼の名で思い出す映画は「ローマの休日」だ。ペックの相棒でカメラマンのアーヴィング役、まさに適役でしかもはまり役であった。
ローマの休日 新聞記者のジョーが王女の特ダネ取材の片棒をかつがせ、それに乗って証拠写真を隠し撮りをして回る大事な役だ。ライター型カメラが”盗み撮り”シーンで盛大に使用され、大いに話題となった。 余談だが、私も若い頃、これが欲しくてたまらず、大学生になってタバコを吸い出すと早速手に入れ、エディの真似事をやってひとり悦にいってたものである。 「ローマの休日」は日本でも最高のヒット作となった。街中にヘプバーン・カットの女性が溢れたものだ。これ一作でヘブバーンはスターの地位を得、アカデミー主演女優賞を獲得した。 エディは1906年4月22日、イリノイ州ロックアイランドで、ドイツ系移民のフランクとジュリアのハイムバーガー夫妻の間に生まれた。 彼が生まれて1年後にはミネソタ州ミネアポリスに移り住み、その地で成長、ミネソタ大学でビジネスを学んだ。 しかし、1929年のウォール街大暴落の影響で仕事が見つからず、アマチュア歌手、保険のセールスマン、サーカスの空中ブランコ乗りなど様々な仕事を経てニューヨークに移り、ブロードウェイに進出した。 1933年にエディ・アルバートと改名し、1938年に映画デビュー。以後、存在感のある脇役として活躍。第二次世界大戦中は海軍で従軍した。 映画「ローマの休日」のカメラマン役で広く知られ、その「ローマの休日」(1953年)と映画「ふたり自身」(1972年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 その他、出演作品には「攻撃」「ロンゲスト・ヤード」「マックQ」「エアポート’80」「悲愁」など多数ある。 またテレビでは1965年からCBSで放送されたドラマ『農園天国』が大ヒットし、元ニューヨークのエリート弁護士で引退して田舎に移住した主人公オリバー・ダグラス役はアルバートの当たり役となった。 歌手としての実績も高く、アカデミー賞授賞式のイベントでその声を披露したほどである。 1945年にメキシコ系女優のマーゴと結婚。息子のエドワード・アルバートも俳優になった。リベラルな人柄でも有名。 2005年5月26日、肺炎のためカリフォルニア州にある自宅で死去。99歳の大往生だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.21 11:41:13
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