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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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カテゴリ:タ~ト
Danny Kaye / Best Of 輸入盤

ダニー・ケイ、彼は中学生の頃から私の大好きな役者の一人だった。ポケタポケタ・・・で始まる白昼夢、いきなりだから困りもの、でも夢の中で彼はしがないサラリーマンからヒーローに変身するのだ。それにしても彼の早口言葉は圧巻だった。

「虹を掴む男」この映画を何度見たことだろう。彼のような白昼夢を一度見てみたいと真剣に考えたこともある。でも幸か不幸か白昼夢はおろか、夢の中でヒーローになることも出来なかった。

その代わり、夢の中の美女ヴァージニア・メイヨに”ホの字傘”になり、彼女の出演映画を追いかける羽目に陥った。

虹を掴む男

ポケタポケタの次に彼を見直したのは「5つの銅貨」だった。これはでジャズ・トランペッター/レッド・ニコルスの伝記映画でいつものひょうきんさは姿を消し、ダニーにしては極めてシリアスな演技をしていた。

レッド・ニコルスは演奏旅行に次ぐ演奏力旅行で娘が重傷の小児マヒにかかる。彼はペットを捨て、夫婦で娘のリハビリに全力を注ぐ。

そして舞台復帰したニコルスに娘が杖なしで歩み寄るシーンは感動が胸に突き上げてくる。

5つの銅貨

ダニーの作品であと一本感動的な映画は「ホワイト・クリスマス」だろう。ダニーがビングと組み、ローズマリー・クルーニーとヴェラ・エレンのシスターズと退役軍人の上官を救うという筋立てだ。これも中々良く出来た心温まる作品だった。




彼は1913年1月18日、ニューヨーク州のブルックリンにて、ウクライナからのユダヤ系移民の親の元に生まれる。

幼い頃から歌とおしゃべりが好きで、高校中退後劇団に入り下積みを経験し、1939年の『The Straw Hat Revue』でブロードウェイデビューを果たす。

その後、1941年のブロードウェイ・ミュージカル『レイディ・イン・ザ・ダーク(Lady in the Dark)』に出演し、さらにわずか39秒で50人のロシア人作曲家を早口で暗唱する『チャイコフスキー(Tchaikovsky and Other Russians)』という曲で大絶賛を浴びた。

さらに、彼の才能に注目した映画製作者サミュエル・ゴールドウィンの誘いにより映画界入りを果たし、1944年に「ダニー・ケイの新兵さん」で映画デビューを飾る。 以降、「ダニー・ケイの天国と地獄」や「虹を掴む男」、「ホワイト・クリスマス」、「五つの銅貨」等、数々の映画に出演。独特の早口で歌う様やコミカルな演技で人気を博した。

彼の他の作品には他に「夫は偽者」「ダニー・ケイの検察官閣下」「ダニー・ケイの天国と地獄」「アンデルセン物語」などがある。

   

アメリカでは、1981年9月に行なったニューヨーク・フィルハーモニックとの演奏会が語り継がれている。

同楽団の常任指揮者であったズービン・メータの物真似をしたり、ハエ叩きを持ってリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』を指揮したりと、得意のコミカルな演技で聴衆を楽しませた(尚、この演奏会の模様は『ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ』というタイトルでビデオやレーザーディスクが発売されていたが、現在は廃盤であり、中古品が高値で取り引きされている)。

1981年のアカデミー賞では、長年のユニセフの活動に対してジーン・ハーショルト友愛賞を授与された。

1987年3月3日、ロサンゼルスにて心臓発作で死去。享年74歳で天国の住人になった。

余談だが俳優の谷啓が芸名の参考にしたそうである。





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Last updated  2010.03.05 12:46:20
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