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ロンダ・フレミング / Rhonda 輸入盤 【CD】
ロンダ・フレーミング、彼女に初めて出会ったのは、勿論スクリーンの上、なんときれいな人なんだろうと見ほれてしまった。 映画は「OK牧場の決斗」だった。ロンダは赤い髪が特徴の女優で”天然色女優”と呼ばれていた。だが、テクニカラー映画の本家赤い髪の女優はやはりモーリン・オハラと決まっていたと思う。 果たしてテクニカラークイーンはどちら?なのだろうか。どちらもカラーに美しく映える美人だ。勝負なしとしておこう。 「OKコラル・・・」フランキー・レインの歌が流れるなか、大草原の彼方に3人の馬上の男が現われ、男たちは町に入ってくる。そして、ドラマの幕が開くという次第。 ヨーロッパ帰りの美人賭博師に扮したロンダは流石に美しさに溢れていた。 OK牧場の決斗 彼女は1923年8月10日、カリフォルニア州ハリウッドで生まれた。そして1940年、ビバリーヒルズにあるビバリーヒルズ・ハイスクール在学中の17歳の時に街でエージェントからスカウトされる。 その後、デヴィッド・O・セルズニックと契約を結び、芸名をロンダ・フレミングと命名。 端役で数本の映画に出演し、1945年、デヴィッド・O・セルズニック制作、アルフレッド・ヒッチコック監督の「白い恐怖」で本格的な役を獲得する。 白い恐怖 赤い髪、緑色の眼と白い肌がカラー作品に映えることからテクニカラーの女王と呼ばれた女性の一人というのは事実である。 他の出演作品には、「静かなる対決」「【ポスター】0086笑いの番号ドン・アダムス」「らせん階段」などがある。 1991年にテッド・マンと共にUCLAメディカルセンターにロンダ・フレミング・マン クリニック(Rhonda Fleming Mann Clinic For Women's Comprehensive Care)を開設した。 現在の伴侶を含めて6回の結婚歴がある。(5番目の夫・テッド・マンとは1978年より22年連れ添った後、2001年1月に死別している。) 彼女ももう86歳である。無理せず長生きしてほしいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.08 21:23:04
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