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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:タ~ト
ドナルド・オコーナー、名前はあまりメジャーな方ではない。しかし、踊りの才能にかけては抜群の能力保持者である。あなたもきっと感嘆されたことがおありだろう。 映画はミュージカル映画の最高峰「雨に唄えば」。表舞台はジーン・ケリーに浚われてしまっているが、この人の演技も中々のものだ。 雨に唄えば 舞台裏のセット構築現場で大道具さん、小道具さんが忙しそうに動きまわる中で、彼が抜群の踊りを見せる一人芝居は、大向こうを唸らせるに充分だ。 セットを使っての踊り、走り、跳ぶ、まさに”ドナルド・オコーナーここにあり”といわんばかりのダンスシーンである。中でも極め付きは人形を使っての踊りだ。モノに過ぎない人形なのだが、彼にかかると命を吹き込まれたように、人形まで立派なパートナーに変身する。 至芸とでも云おうか、彼の凄さに舌を巻いたのはわたし独りではなかっただろうと思う。 彼は1925年8月28日、ボードビリアンの両親ジョン・エドワードとエフィの七番目の子供として生まれた。 一家はドナルドの生まれたころ「オコーナー・ファミリー」として活動を行い、ドナルド自身も1歳で初舞台を踏んだ。 11歳にして兄弟とともに「二人のメロディ」で映画デビュー。パラマウントと契約して、「ポー・ジェスト」「シング・ユー・シナーズ」などに子役として出演する。 兄の病死により、一時ボードヴィルに戻ったが、1942年にユニバーサルからスカウトされ、ペギー・ライアンとのダンス・コンビを組んだ。 グウェン・カーターと結婚、軍役を経て、映画界に復帰した後はコメディ作品「フランシス」(1950年~)シリーズでコメディアンとしての人気を確立した。 1951年にはジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンの指名によってMGM社に貸し出され、名作「雨に唄えば」でジーンの相手役を務めた。 さらに翌1953年には「アイ・ラブ・メルビン」、「ショーほど素敵な商売はない」(1954年)などの作品出演を重ねたが、ミュージカル映画が次第に下火になってゆくなかで活動の軸足をTVに移していった。 「ザッツ・エンタテインメント」はミュージカルの記念碑的作品と言えるだろう。 ザッツ・エンタテインメント 1956年、グロリア・ノーブルと再婚。晩年まで映画、TV、音楽などで活動をつづけ、2003年9月27日、心臓麻痺で死去。享年78歳で没した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.09 10:55:05
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