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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:サ~ソ
スターリング・ヘイドン、彼の名前をクレジットで見たのは、中学生の時だったと思う。映画は「第七機動部隊」である。
第七機動部隊 ストーリーはこうだ。1944年秋、アメリカの精鋭空母プリンストンの上甲板で、隊員の信頼も厚い副隊長ジョー・ロジャース大尉(リチャード・カールソン)を始め、個性豊かな隊員らの着艦を見守る、指揮官赴任直後のダン・コリアー中佐(スターリング・ヘイドン)。 だが、元カーレーサーのバーニー・スミス少尉(キース・ラーセン)は危うい着艦により、着任早々の指揮官から謹慎処分を受ける。 大空を飛びたいために空軍を志願したスミスは翼を奪われ、甲板勤務にされ、悲嘆に呉れる。だが、ダンは「編隊は個人プレーじゃない。一人が勝手な真似をしているとゼロ戦の餌食にされる。戦闘は遊びじゃない、命がかかっているんだ」と諭すのだ。 この映画は全てに厳しい上官とチームを組む兵士との心の交流がテーマになっている。会社の上司と社員の関係に似ている。 チームを束ねる上司が部下に厳しく接するか、不問にして人気を得るかだ。厳しくしすぎると部下は反発する。だが、目的を達成するには鬼にもならなければならない。 司令官のダンは空軍で第3位の撃墜実績を持つ歴戦の勇士だ。彼の語る言葉には経験の裏づけがある。反発していた部下たちも次第に彼に心服していくのだ。 映画はいろいろなことを教えてくれる。どんなBC級の作品でも1箇所は勉強させてもらえることがあると思う。 彼は1916年3月26日、ニュージャージー州出身の男優だ。生まれた時の名前はスターリング・レルイエア・ウォルター(Sterling Relyea Walter)だったが、父と死別し、母が再婚したことから、以後継父の姓であるヘイドンを名乗ることになる。 銀行のメッセンジャーボーイ、船員、消防士などの職を転々とし、友人の紹介でパラマウント・ピクチャーズと俳優として契約を結ぶ。 デビュー時のキャッチコピーは「映画史上最も美しい男優」だったが、彼自身は映画界に長くとどまるつもりはなかった。 第二次世界大戦が始まると、COI(後のOSS)に志願して映画界から離れることになる。COIでは偽名を名乗り、ユーゴスラビアでパルチザンのゲリラ活動を支援する任務につく。 戦後、マッカーシズムが台頭して非米活動委員会が結成され、ハリウッドにおける共産主義者のリストアップを開始すると、大戦中にユーゴスラビアのチトーなど共産主義者たちと交流を持っていたヘイドンにも追及の手が伸びる。 ヨットを購入した借金の返済をするために映画界への復帰を願っていたヘイドンは、追及をのがれるために協力的密告者として証言台に立ち、そのことが後の彼の人生に暗い影を落すことになる。 ターザン役をオファーされたが断り、ジョン・ヒューストン監督の「アスファルト・ジャングル」に主演。以後、1950年代アメリカ映画を象徴するフィルム・ノワールと西部劇のスターとして活躍するようになり、スタンリー・キューブリックやニコラス・レイといったこの時代を代表する監督たちの作品にも主演した。 1960年代に入ると「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」に独断で核戦争を始める精神異常のリッパー将軍役で出演して、従来のスターイメージからの脱却を目指すが、フィルム・ノワールや西部劇もこの頃から衰退しはじめ、ヘイドンもまた活躍の場を徐々に失っていくことになる。 1970年代にはフランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」で、アル・パチーノ扮するマイケルが初めて殺人を犯す場面において殺される悪徳警官や、ベルナルド・ベルトルッチ監督「1900年」の第一部で誇り高い小作人頭を演じるなど、渋い名演技を残している。 また「ジョーズ」の主役にも抜擢されたが、この役は結局最終的にロバート・ショウに取って代わられた。その他、彼の作品としては、「現金に体を張れ」「三人の狙撃者」「ロング・グッドバイ」「カンサス大平原」などがある。 船員時代に船長の資格も取っており、船に対する執着は激しいものがあった。生涯に3回離婚し、うち1回の離婚で元妻と揉めた時は、妻子の移転先であるタヒチへヨットで押しかけたというエピソードも残している。 波乱に富んだ生涯を自伝にして、1963年に出版した。晩年も脇役として映画出演を続けたが、1986年5月23日、癌で死去。70歳だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.02 16:06:14
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