|
テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:ラ~ロ
レイ・ミランド、この人の名を覚えておいでの方は今ではほとんどいらっしゃらないのではあるまいか。「失われた週末」でアルコール依存症の作家を演じ、アカデミー主演男優賞をゲットした。
それよりも私に恐怖を与えたヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」の方がいつまでも印象に残った。良き夫を装いながら、少しずつ冷酷な正体を現していくレイ・ミランド、襲われる妻役のグレイス・ケリーの美貌と恐怖の演技。 ダイヤルMを廻せ! 息詰まる緊張感の連続、そして胸のすくようなラスト、ヒッチコックの魔術にかかったのは私だけではあるまい。 中でも外出した夫が無言電話をかけ、電話を取るグレイスの背後からストッキングを手にじわじわと忍び寄る男・・・。まさにサスペンスの極致だ。 グレイスの演技もさることながら、冷徹なレイ・ミランドの演技は見事だったと言えよう。 彼は1905年1月3日、イギリス・ウェールズで生まれた。父は溶鉱炉の設計士。ロンドンのキングズ・カレッジ卒業後、近衛騎兵連隊に入るが、たまたま映画スタジオにいる女友達のエステル・ブロディを訪れたところスカウトされる。 1929年にスパイク・ミランドの芸名で英国映画界入り。数度芸名を変えている。数本を撮ったあと、脚本家のアニタ・ルースの勧めで1930年にハリウッドに進出。1931年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約した。 1932年までに8本の映画に出演したがクビになり、一度英国に戻るが、もう一度ハリウッドで勝負しようと再び渡米して、本格的にデビューする。 1930年代から1940年代半ばまでは明るいロマンチックな役柄が多かった。1935年にフレッド・マクマレー、クローデット・コルベールと共演した「輝ける百合」でスターの足がかりを掴み、1940年の「French Without Tears」で大スターの仲間入りを果たす。 二枚目ながらもしばしば大根役者と揶揄されていたが、1945年、ビリー・ワイルダーの「失われた週末」でアルコール依存症に苦しむ作家を熱演、アカデミー主演男優賞を獲得。ハリウッドでの地位を決定付けた。 彼は「失われた週末」でアカデミー賞を受賞した際、受賞スピーチで一言も言わず、ただ深々とお辞儀をしただけであった。また、オスカーをもらった最初のウェールズ出身の人間である。 失われた週末 1954年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ!」に主演。自身の代表作の1つとなった。 その後は1955年の「白昼の対決」を機に監督業にも乗り出している。1960年代以降はあまり作品に恵まれずB級映画とテレビ出演が主となっていったが、1970年の「ある愛の詩」で主役のライアン・オニールの父親を演じて印象を残した。 その他、彼の作品には、「絶海の嵐」「X線の目を持つ男」「恐怖省」「星の国から来た仲間」などがある。 彼は1986年3月10日 カリフォルニア州トーランスで肺癌の為死去。享年81歳だった。私生活では只1度だけの結婚である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.18 13:48:09
コメント(0) | コメントを書く
[ラ~ロ] カテゴリの最新記事
|