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フランソワーズ・ロゼー、彼女の映画で記憶に残っているのは、ジュリアン・デュヴィヴィエの名作「舞踏会の手帖」である。
舞踏会の手帖 未亡人クリスティーヌ(マリー・ベル)は、ある日20年前の手帖を見つける。それは彼女が舞踏会にデビューした時の相手の名前を記した手帖だった。 彼女に愛を囁いた10人の男たち、彼らは今どうなっているのだろうか。クリスティーヌは”青春探し”の旅に出る。 そこで彼女は息子の死を信じようとしない狂気の母親(フランソワーズ・ロゼー)と出会う。 ロゼーの演じる錯乱した母は生と死の狭間にあって鬼気迫る見事な演技を見せてくれた。 ロゼーは1891年4月19日、パリに生まれた。父は伯爵、母は有名なコメディアンであった。不器量で不器用だからという母の反対に背き、コンセルヴァトワール(Conservatoire)を卒業して舞台に立ち、オデオン座、オペラ座に出ていた。 第一次世界大戦直前にはリュシアン・ギトリーの巡業団に加わりロシアへも行った。1913年の「ファルスタッフ」で、映画へのデビューをはたし、次第に名を上げた。 夫は、1917年に出会った映画作家のジャック・フェデーである。彼女はその主要な作品に出演した。 彼女は多くの名監督の多くの種類の映画に出演した。叙情的ドラマから大道芸的喜劇までをこなし、大粒の涙を流し、あごが外れるほどに笑った。鍛え上げられた演技力による堂々たる風格を持っている。 第二次世界大戦時には、一家はドイツ軍に占領されたパリから、スイスの リヴ・ド・プランガン(Rive-de-Prangins)に難を避け、彼女はジュネーヴの国立音楽芸術学校(Conservatoire de Gen?ve)で演劇を教えた。 彼女の出演作品には、「女だけの都」「ジェニイの家」「勝負師」「外人部隊」など多数ある。 夫フェデーは、その地で1948年に没した。3人の息子、マルク、ポール、ベルナールとともに喪に服したのち、彼女は、国際的な活動を再会した。英語とドイツ語とが自在であった。 1974年3月28日、パリの南、オルリー空港のすぐ東、モンジュロン(Montgeron)で没した。83歳であった。「100までは生きたくないわ。お品がないもの」(Je n'ai pas du tout envie de vivre centenaire. Ce ne serait pas poli.)と言い残したという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.10 11:53:35
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