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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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酒天倶楽部@ 初めまして  花登筺を調べていて、貴ブログ『私と…
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
大西俊郎@ リンク了解しました 中々凝ったブログですね。勉強になります。
くーる31@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…

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カテゴリ:サ~ソ
サミー・デイヴィス・ジュニア / Best Of 輸入盤

サミー・デイヴィス・ジュニア、彼はシナトラ一家の一人で、「オーシャンと十一人の仲間」に出演、幅広い人気役者になった。



彼は1925年12月8日、ニューヨーク州のハーレム地区でボードヴィル・ショー巡業を生業とする一家に、アフリカ系アメリカ人の父とプエルトリコ系ユダヤ人の母の間に生まれた。

幼少の頃から音楽や楽器、ダンスのレッスンを受け、3歳のときに初舞台に立つ。巡業でアメリカ中を転々としていたため、通信教育で高校卒業資格を取得する。

1944年には徴兵されアメリカ陸軍に入隊し、第二次世界大戦に一兵卒として参戦したものの、その経歴から最戦線の兵士としてではなく、兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属された。

1954年に初のレコードをリリースし、その高いエンターテイメント性と音楽的才能が幅広い層から高い評価を受けて全米で大ヒット作となり、一躍全米レベルでのスターダムにのし上がった。

また歌だけでなく、その抜群のリズム感を生かした素晴らしいタップ・ダンスの魅力、またフレッド・アステアやフランク・シナトラなどの、他の歌手やエンターテイナーの物真似芸も得意とし高い人気を得た。

1950年には、当時人気絶頂であったフランク・シナトラに見出され、シナトラとディーン・マーティン、ピーター・ローフォードらとともに「シナトラ一家」(「ラット・パック」)を組み、シナトラがネバダ州・ラスベガスに所有するカジノホテル、「サンズ」を中心にツアーを行ったほか、「オーシャンと十一人の仲間」(後にジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、アンディ・ガルシアなどの出演でリメイクされた「オーシャンズ11」のオリジナル)などの映画に出演した。

この頃はアメリカ国内において公民権運動が徐々に高まりつつあったが、中西部などを中心にまだまだ白人による人種差別が激しく、多くのホテルやレストランが客として受け入れることを拒んでいた。アフリカ系アメリカ人であるサミーを一家に入れて「サンズ」のショーに出演させることに反対するものが多かった。

しかしシナトラはサミーの音楽センスを高く評価していた上に、新興移民のイタリア系であることから、自ら人種差別を受けることも多く人種差別を嫌悪していたため、周囲の反対を押し切ってサミーをシナトラ一家に迎え入れた。

「オーシャンと十一人の仲間」以降も、「七人の愚連隊」などの映画に出演した他、ラスベガスなどでのショーやテレビへの出演などを通じて20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの1人として世界的に活躍した。



しかし、1954年に交通事故で左目を失明したり、当時まだ人種差別が法律で認められていたアメリカにおいて、様々な歴史的経緯からアメリカ合衆国において差別をされているユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血であるがゆえに、さまざまな場面で過酷な人種差別を受けるなど、成功の影で苦労も多かった(これに抗議してか、後にユダヤ教に再改宗している。この点はアルノルト・シェーンベルクと似ている)。

1963年に初来日して以降、フランク・シナトラやライザ・ミネリとの共演を含め、生涯を通じて数回の来日公演を行った他、1973年に放映されカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリーホワイトのテレビCM出演を通じて、お茶の間でもおなじみの顔となった。また、主演作の多くが公開されたこともあり、俳優としてもおなじみであった。

1990年5月16日にカリフォルニア州のビバリーヒルズにある自宅で喉頭ガンで死去した。64歳。亡骸はカリフォルニア州グレンデールにある墓地に埋葬されている。





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Last updated  2010.06.09 20:26:26
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