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シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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カテゴリ:ヤ~ワ
女優・山本富士子さん(79才)の夫で作曲家の山本丈晴氏(86才)が9月7日、肺炎のため亡くなられた。突然の訃報に私は驚いた。まだお元気でいらっしゃるとばかり思っていたからだ。私は余りのショックに胸が痛くなった程だった。気が付くと頬が涙に濡れていた。

丈晴先生と私のつながりは1963年にさかのぼる。当時、私は日活撮影所で音楽事務の仕事をしていた。音楽事務とは云うもののれっきとした現場の仕事だ。作曲家の先生が仕事をしやすいように、監督とのパイプ役になり、あらゆる面で便宜を計る、いわば撮影所における作曲家の助手という役目だ。その頃、私はまだ26才で非常に張り切っていたのを覚えている。

あるとき、監督の井田探氏が今度の「銀座の次郎長」の音楽監督に山本丈晴さんを使いたいと云いだした。早速、製作部の今戸さんが交渉し快諾を得た。

台本が上がって来ると、今戸さんは山本邸まで私に台本を届けかたがた打ち合わせをしてくるように云った。私は喜んで渋谷の山本邸に伺った。

「日活の大西です。台本をお届けに伺いました」とインターホーンに云うと門の大扉がギーっと開き、お手伝いさんが奥に案内してくれた。

門内に一歩足を踏み入れて私は思わず内心呟いた。『すごっ』と。流石に大女優山本富士子さんのお宅だ。入った所に25メートルの大プールがあり、青々とした水が湛えられていた。

玄関を入るとそこはお弟子さんのレッスン場になっていて、グランドピアノが置かれている。一隅に階段があり、2階の丈晴先生の部屋に通された。

初対面の挨拶が済むと、先生は、にこやかな笑顔を浮かべて私にこう云われた。
「お世話になるけど、よろしく頼むね」と。
私は、気さくで偉ぶるところなどカケラもみせない丈晴先生を、一度で好きになった。

先生に聞かれるまま、私は井田監督の作風や、青臭い映画音楽論を訥々と話したが、丈晴先生は笑顔を絶やすことなく聞いて下さった。

数日後、井田組はクランクイン。撮影所に見えた丈晴先生を私はセットに案内、監督や録音技師に紹介した。

ラッシュも先生にお見せした。映画界に不慣れな丈晴先生に、出きるだけ早く撮影所に馴染んで頂こうと考えたからだ。

音楽ラッシュも普段より多く取った。試写室で先生と二人だけで検尺することもあった。

音楽打ち合わせ、オールラッシュと進み、程なく音楽ダビングの日を迎えた。私は楽士の編成には殊のほか気を配った。出来るだけ音の良いプレーヤーを揃えるのに苦心した。良いプレーヤーはコストが高い。限られた音楽予算を目いっぱい使ってオーケストラを揃えたものである。

オーケストラの指揮は普通音楽監督がするものだが、万全を期するために代棒の吉沢さんを頼んだ。終了までの時間が30分は早く見込めるからだ。

代棒の吉沢さんは元作曲家で代棒専門の人、そのため各映画音楽の作曲家からは、引く手あまたの状態で、スケジュールを押えるのが大変だった。それはともかくラッシュフィルムと、音を合わせる腕たるや魔術師のようだった。音楽ダビングの途中で、フィルムが長くなっても短くなってもドンピシャリ合わせる名人だった。

丈晴先生にも気に入っていただき、以後のダビングには必ず吉沢さんを頼まれたものだ。

こうして音楽ダビングは無事終了。翌日、フィルムダビングが行われたが、その時、丈晴先生はご夫婦そろってダビングルームに姿を見せられた。そして約1時間監督や録音技師と談笑して帰られた。

私は正面入り口で先生のお車を見送った。「大西君、後は頼んだよ」と車の運転席から窓を開けて云われた先生の言葉と笑顔を昨日のように思い出す。助手席の奥様も丁寧に会釈して下さったのが忘れられない。

所内の初号試写の評判は良く音楽も及第点を上層部から貰ったようで、以後、井田組の音楽監督は丈晴先生に決まった。

数日後の夕方、私は山本邸に呼ばれた。
「今回はほんとに世話になった。何もないけど食事でもして帰ってくれないか」
私は1階の客間に通され、接待に預かった。
私はこの時ほど感激したことはない。先生ご夫妻は、私の努力をしっかり受け止めて下さっていることに私は満足した。
「どうぞ、ごゆっくりしてらしてね」
奥様にビールを注いでいただき、この時ほどビールがうまいと感じた時はない。

こうして丈晴先生は映画音楽作曲家として世に出られたが、そのお役に立てたことは私の生涯の誇りである。謹んでご冥福をお祈り申し上げたいと思う。合掌。


音楽監督・山本丈晴作品


映画ポスターです小林旭:映画ポスター :1964年生きている狼



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Last updated  2011.10.20 17:52:11
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