フランク・シナトラ 世紀のプレイ・ボーイとして名を売った歌手兼俳優
フランク・シナトラ、彼の名はよきにつけ悪しきにつけ、映画界とボーカル史上に残るだろう。ケネディ、ニクソン、レーガン大統領との付き合い、反面、生まれがイタリア系であることから、マフィアとの黒い噂が付きまとった。事実、付き合いもあったようだ。シナトラは1915年12月12日、ニュージャージー州ホボーケンの生まれ。イタリア系の父はパブ(酒場)を経営、世話好きの母は町の顔役だったそうだ。地方新聞社の雑役を経て、各種の歌コンテストに出演し、ハリー・ジェームスに招かれて楽団の専属歌手になる。”ボイス”と謳われるようになり、人気沸騰、失神者も出る騒ぎだった。映画出演は44年の「芸人ホテル」からで、「錨を上げて」「下町天国」「踊る大紐育」などに出演、人気の高まりと共に人気におごった彼が、ステージをすっぽかすなど支障を続出させたため、あらゆる仕事から乾され、さすがのシナトラももう終わりと見られていた。そのまま過去の存在となるかと思われたが、1953年にフレッド・ジンネマン監督の第二次世界大戦前夜のアメリカ軍兵士を描いた映画『地上より永遠に』の脇役であるイタリア系アメリカ人兵士「マッジオ」役に出演を懇願、これまで主役級を演じてきたシナトラにとって脇役の演技は格落ちであったにも関わらず、この役にとことんほれ込んだ末のことであった。軍隊内の虐待で惨めに死んで行く兵士を熱演しその結果、アカデミー賞助演男優賞を獲得、奇跡的なカムバックを成し遂げた。なお、この役に採用されるまでのエピソードがマフィアを描いた映画「ゴッドファーザー」で取り上げられているのは興味深い。それ以後、”シナトラ一家”と呼ばれるD・マーティン、S・デイヴィス・ジュニアなどグループのボス格として、「オーシャンと十一人の仲間」「荒野の三軍曹」「7人の愚連隊」などの製作にも乗り出し、一方では「黄金の腕」で麻薬中毒者のシリアスな演技を見せ、「上流社会」「抱擁」「夜の豹」「カンカン」など、コメディ、ミュージカルと万能スターとして活躍した。 私生活としては、1939年に若い頃からの恋人ナンシー・バルバトと最初の結婚をした後、1951年に離婚するまでの間に3人の子供をもうけた。長女ナンシー・シナトラは歌手として活躍し、特にスパイ映画の007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』の主題歌は世界的なヒットとなった。次女ティナは女優としてテレビを中心に活躍した。長男のフランクJr.も歌手となったが1963年に誘拐され、240,000ドルを要求されたものの2日後に解放された。ナンシーと離婚してからわずか10日後に女優のエヴァ・ガードナーと再婚したものの、1957年に離婚。1966年には30歳年下の女優、ミア・ファローと結婚したがこの結婚はわずか2年しか持たなかった。最後の妻となるバーバラとは1976年に結婚し、1998年に死ぬまで添い遂げた。また、マリリン・モンローやローレン・バコール、キム・ノヴァク、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドなど多くの女優と浮名を流し、生涯を通じてプレイボーイとして名を馳せた。モンローをケネディ大統領に紹介したのも、彼だったそうである。4度の結婚で子供は3人である。1998年5月14日、享年82歳で天国の階段を上って行ったが、生涯を通じ数多くのミリオンセラーを連発、ルイ・アームストロングやアントニオ・カルロス・ジョビン、セリーヌ・ディオンやビング・クロスビーなどの音楽界との大物との競演、競作も数多い。「マイ・ウエイ」はヒット作として名高い。