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カテゴリ:映画感想・邦画
2002年制作の日本映画。
原作は山本文緒の同名小説。 監督は『がんばっていきまっしょい』『解夏』の磯村一路。 主演は本上まなみ。 大学4年生の鉄男はバイト先であるスーパーによく来る女性・さとるに想いを寄せている。ある日、スーパーで貧血を起こして倒れたさとるを介抱したことから交際を始める。 鉄男はさとると付き合っていくうちに、彼女の心の中に巣食う深い闇に気づく。 厳格な母親に統率され続けていたさとるはそこから逃げ出そうともがき苦しむ。それを鉄男はなんとか救い出そうとするのだが…。 この映画は一見ラブストーリーのようだが、その根底にあるのは「家族」という切っても切れない関係の歪みを描いた心理サスペンスである。 主人公のさとるは教師をしている厳格な母親に統率され続けてきた。あっけらかんとした妹とは違い、彼女は家から逃げ出したいという思いと家に留まり続けなければならないという思いの間で葛藤している。 「母親が憎い、だけど親なんだから感謝しなければいけない」という気持ちから、自分の本当の感情を抑圧してきたのだ。 それが心の傷となり、うまく社会に溶け込めない人間になってしまった。 そんな主人公・さとるを演じるのは本上まなみ。 常に顔色が悪い女を頑張って演じたと思う。 元から本上まなみはそれほど巧い役者だとは思っていないが、雰囲気のある芝居を見せる。 本上まなみは感情が昂ぶる芝居をすると妙にブサイクになる。それが面白いのだが、この映画の中で本音をブチまけるシーンではその表情が鬼気迫った主人公の心情を物語っていた。 相手役の鉄男を演じたのは玉木宏。 彼の存在がこの映画を引っ張っている。 何かしら心に重いものを抱えた登場人物が多いこの映画の中で、鉄男の屈託の無さや真っ当さが一筋の光になっている。 当時の玉木宏も決して芝居が巧いわけではない。でも彼が持つ嫌味のない雰囲気が活きていたと思う。 髪型はかなりヘンだが。 そしてこの物語の一番の核となるのが、さとるの母親である。 演じたのは藤真利子。その厳格な芝居に圧倒される。 さとるが門限を過ぎて帰ってくれば容赦なくビンタを張る。門限を過ぎた理由になってしまった鉄男の頬すらも容赦なく張る。 女ひとりで娘2人を養ってきた彼女は、社会に馴染めないさとるに辛くあたる。娘に注いだ愛情への代償として見返りを求める彼女はやはりどこか病んでいる。 自分では良い母親だと思ってやっていることなのだが、それが娘たちを苦しめている。それがきっと彼女自身もわかっているのだが、どう接すればいいのかわからない。 きっとこの母親自身も愛情に飢えた人間なのだろう。 藤真利子の芝居はさすがに迫力がある。 暗い食卓で娘2人と鉄男が食事をするシーンで、鉄男がぺらぺらと喋っているのを諌める意味で机をコツンと叩く。 それだけで観ているこちらもドキッとしてしまう。 一見優しそうな笑顔の裏に狂気を秘めている母親を熱演している。 鉄男がきっかけとなって、今までなんとか取り繕ってきた家族は崩壊していく。それぞれの脆さが露呈して、お互いを攻撃しあう。 母子がぶつかり合うシーンは修羅場ではあるが、お互いが殻を破ったという意味での感動を得られるシーンでもある。 普通の家庭に育った人間にとっては、この家族の姿は異常である。 親子の関係というのはやはり切っても切れないものである。 「そんなに辛いなら逃げればいいじゃん」と言うのもきっと安直な話なのだろう。 親から受けた傷を自分の子供に与えてしまうという、悪しき鎖は実際の社会でも存在する。 そこでその鎖を断ち切るには何が必要なのかを考えさせられる。 さとるはよく鉄男の腕を掴む。 序盤でのそれはすがりつく意味であったが、ラストで腕を掴むという行為は、足をしっかり地に付けて共に生きていこうという希望に満ちている。 鳥籠の中の鳥が、やっと羽ばたいた。 そんな印象のラストである。 全体的に重い印象の映画であるが、ストーリーに引き込まれてしまった。 『がんばっていきまっしょい』では爽やかな高校生の青春を描いた磯村監督だが、こういう大人の物語も味わい深い演出で魅せる。 ニクい監督である。 ★★★★☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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