アラン・ホールズワースのプロデビューに至る音楽歴
余り自身のアマ時代からの音楽歴について詳しく語らないアランでしたが、数多くのインタビューの内世界的に知名度を得始めた70年代後半のものの中には珍しくその歩みを語ってたのもありました。今回はそれらを端的にまとめた拙ツイートから再掲載です。Q、ギターを始めたのはいくつ位から?アラン「16か17の頃、最初はどこのか判んないギターで次がヘフナーのプレジデント(写真)」Q,最初のバンドは?アラン「生まれ育ったブラッドフォードのセミプロバンドで労働者相手のクラブなんかで演奏してたよ。」(写真はおそらく当時のバンドMike Judge and The Jurymenだと思われる)Q,その後は?アラン「その後はサンダーランドやマンチェスターとかいくつかのバンドで3年やってたよ。」(ミュージアム、イギンボトム、グレンサウスバンド等か)Q,ロンドンへはいつ?アラン「組合の巡業で知り合ったアルトサックスのレイ・ウォーリーから電話があったんだ。まだやってるかってね。昼間は工場で働いてると言うと、いいからロンドンに来いって。それで少し地元で頑張って72年彼の家に居候したのさ。」Q,ロンドン出てからは?アラン「レイにあちこちのクラブに連れていかれて、お小遣いももらって色んなミュージシャンに紹介されたよ。幸運な事に誰かがジョン・ハイズマンに僕の事を教えたみたいで電話があったんだ。そして入ったテンペストは僕にとって最初のプロバンドとなった訳さ」Q,その後のソフトマシーンは?アラン「テンペストを離れた後ミュージシャンユニオンのクリニックに出る事になった。そしたらソフツはギタリストを丁度欲しがっていて、一緒にリハをやろうって電話してきて。それで彼らの曲を教えてもらって演ったんだ。」Q,あなたのスタイルに影響を与えた音楽は?アラン「元々音楽に溢れた環境に育ち、サックスソロに感銘を受ける事が多かったんだ。ギター始めてからもそういったトーンを得たいと思ってたね。よくあるマシンガンサウンドとは対照的な流れる水のような。そういうのが好きだね。」補足:アランがロンドンで一躍有名になったロニー・スコッツでのギターフェスティバル。同じ舞台にいたのはジョン・ウィリアムスとバニー・ケッセルでアランの稲妻の様な運指にケッセルは感銘を受けたと出ている。71年だの72年だのハッキリしてなかったが72年9月で結論が出た。やはりロンドン上京後。ケッセル「君はどんな弦を使ってるんだ?」アラン「普通ですよ」ケッセル「どうやったらあんな奇妙な音になるんだ?」その後のジョン・ハイズマン「噂を聞いてアラン・ホールズワースを呼んだんだが、10分やっただけでコイツで正解だと思った」以上、一周忌メモリアルとしてお送りしました。