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カテゴリ:つぶやき。。。
この間、会社で仕事さぼって(笑)新聞読んでたら、相談コーナーみたいな欄があった。
めったに読まないんだけど、スポーツ欄も三面記事も市況情報も読み尽くしちゃったので何気に目を通してみた。 相談者は20代の女性で、「自分のとても尊敬していた上司がまだ50代という若さでガンでなくなった、それ以来人はどうせ死ぬのだから、一生懸命生きても無意味だという気がしてきた、自分は家族がいて、恵まれた環境だと思うが人生に意味が見出せないでいる」というような内容だった。 それに対して、室井佑月とかいう、作家(?)だかなんだかよくわからないけど、フ○テレビのとくダネ!でコメンテーターしてる人が「世の中には食べるのに困ってる人はじめ、もっともっと大変な人が一杯いる、 自分は恵まれてると思うならまずそれに感謝してはどうか、尊敬している上司が亡くなって悲しいのはわかるがだから人生がどうでもよくなった、というのはお嬢さんの感傷だ」というような回答をしていた。 つらい思いをしている人に対して、もっとつらい人がいるからあなたはいいほうよ、というのは 慰めの定番みたいな感じだけど、それって本当にそうなんだろうか。 確かにそういう部分はある。世界各地で戦争が起こって、毎日のように子供が死んでいる世の中だ。 激しい貧困のため、生きるのに必死で、人生の意味とか、心の豊かさとか、そんなこと考える暇もない人々が世界にはたくさんいる。 それに比べれば、たとえば私のようにとりあえず平凡に毎日を過ごしている人間は感謝すべきだし、大概のことはそれよりひどいことなんてありえない。 だけど思うに、「大変なこと」「つらいこと」って、たぶん人それぞれで、価値観が多様なように、同じような出来事でも、人によってはまあなんとか耐えられることだったり、ある人にとっては死んだほうがましだ、っていうぐらいつらいことだったりする場合もあるんじゃないだろうか。 また、ある大きな、ショッキングな出来事に耐えられる閾値みたいなのも、人によって違うんじゃないかなと思う。 それに対して、「甘えてる」とか、「もっと大変な思いをしてる人がたくさんいるんだから」とか言うのって、なんか違和感がある。 それに「もっとつらい境遇の人がいるんだから」って言葉の先には結局優越感があるんじゃないだろうか。 ならば比べられた人たちはいったいどうなる?それってすごく失礼なことじゃないかと思う。 誰かと比べて初めて自分の価値を見出す、ってすごく情けないことだ。ありがちだけど。 また彼女の場合、私は専門家じゃないからよくわからないけどたぶん、とても大切な人を失ったために、大きな喪失感を感じ、それが「人生って無意味」という思いになってるんじゃないかな、って気がする。 大切な人を失ったつらさって、貧乏な人よりお金持ちの人の方が少ない、ってことはないはずだ。 世の中にはひどい境遇の中で、必死で生きている人達がいる。それはこれだけ情報化が進んだ今の日本では、具体的には知らなくても、漠然となら多くの人が知っていることじゃないだろうか。 私も普段は、そういうことに対して何かできないかな、っていつも考えている。 でももし私にとって、どうしようもなくつらい経験をしたときに、果たしてそのことを思い出して自分の境遇に感謝し、つらい気持ちを乗り越えられるかどうか。 相談者の彼女が上司の死という大きな悲しみを乗り越え、前向きに生きてくれるよう祈るばかりだ。 と、人生に後ろ向きな私が言うのもなんなんだが(笑) 脱力系キャラの太郎。君にも君の悩みがあるんだよな。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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