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テーマ:今日聴いた音楽(75272)
カテゴリ:音楽
昨日久々に、ザ・シンフォニーホールに行きました。
このホール、関西のホールの中ではピカイチと思いますが、 最近は苦戦を強いられている模様、 昨日も7割入っていなかったかな? 大阪と兵庫で客の取り合い。 関西はこんなところでもなかなか「共同」しません。 曲目はスメタナの連作交響詩集「我が祖国」全曲。 演奏はプラハ放送交響楽団。 指揮はヴラディーミル・ヴァーレク。 作曲家にはそれぞれ、リズムの処理とかにクセがあり、 スメタナは、民俗音楽のリズムを(音階も?)用いたり、 楽器の受け渡しが、「通常のドイツ音楽」でやる方法とはまた 一風異なるやり方をしたりするところもあり、 「慣れ」は必要な音楽のような気がします。 楽譜というものは元々「西洋音楽」のかなり特定されたものを記すためのものなので、「それら以外」を記述するには限界かムリは生じます。 そもそも、音階が平均律以外ならお手上げですし、 また「小節」というもので「定期的に同じ強さが繰り替えす」というものでなければ、「注釈」が必要になります。 変拍子やアクセントはその一例で、これらが頻出するほど「複雑で判りにくいもの」に「西洋音楽」から見るとなってしまいます。 (相撲の「触れ太鼓」でも、楽譜にして、楽譜を読んで、パーカション奏者が叩こうとすると大変かと、、、) 先日、ジュリアード弦楽四重奏団のバルトークの全曲演奏の模様を放送してた折に団員が、 「バルトークの曲のリズムは楽譜にして見ると本当に難しい。民謡のリズムを用いているので、多分、ハンガリーの人ならカンタンなんだろうが。」とのこと。 メンバー変更はあるとはいえバルトーク演奏史に残る団体のメンバーからの正直な発言はすごい!と思うとともに、やはりリズムパターンひとつとっても、民俗音楽を「移植」してきていることでの難しさ(でもバルトークの「味」)があるのやなあ、と感心しました。 で、 昨日のスメタナです。 我が祖国の全曲は、そういった若干のオケ側のムリがかかる面があり、 また、1時間以上かかる全6曲のうち、 冒頭の2曲のみが突出して有名とあっては、 全曲が乗りにくいのもやむをえないところではあります。 僕もナマでは、以前、チェコ・フィルが来たとき、 アシュケナージで聴いた1回のみでした。 チェコフィルとしてはおとなしい演奏でしたが、 それはそれできれいにまとまっていたので、 僕としては満足した体験でしたし、 なにより、ナマで聴くとはじめて気づくことがいっぱいありました。 (上に書いた、意外な楽器法による、音量の変化・対比、音色の対比など(のオモシロさと難しさ)) 演奏は、特に冒頭の2曲を、かなり速めに、タメも作らずに進めていきます。 「淡々と」といってもよいくらい。 でも、安心して聴けます。 冒頭のハープは、指揮はせず、ハーピストのテンポのカデンツァとして始めました。 ザ・シンフォニーホールの空間に、澄んだハープの響きがきれいにひろがります。 これはもう、ナマでしか絶対に体験できないものです。 このドキドキする瞬間!! 続くホルンは僕の席の真下なので、ベルからの直接音に近い音が間近に聞こえてきます。 立ち止まらず、どんどん、テンポを刻んでいきます。 トランペットは比較的、ハッキリと固めの音で演奏していました。 全体に、ピアニッシモは余り小さくなく、 全体にメゾピアノとメゾフォルテからフォルテッシモくらいの間で演奏するので、 若干、音楽の表情が平板に聞こえなくもないなあ、、、というのが前半の印象でしたが、 全体を通して聴くと、前半の有名曲2曲をあくまでも全体の開始部分として位置づけて、 後半に向けて盛り上げていく、というようなものだったようです。 またもともと「オペラチック」な指揮者ではないのかもしれません。 それに、冒頭2曲は、 あまりにも「標題」がはっきりしすぎているので、 それをそのまま思いいれたっぷりにドラマティックに演奏するには、 この彼らにとって、何度も何度も演奏した曲は、 気恥ずかしいのかもしれません。 これら超有名曲の2曲も含めて、いろいろと複雑なリズムが絡むところや、 細かい楽器の受け渡しが多いのですが、 ところどころ、さすがにナマなので、一瞬乱れることはありますが、 すぐに自然に立て直して、破綻やアタフタとしたようなところがありません。 トータルでのリズムやフレーズのまとまりのイメージが共有できているからでしょう。 第3曲のシャールカ以降、 リズムを激しく刻む速い部分と、 静かな、主に木管のソロやアンサンブル(クラリネット2本、、とかが多い)、または弦楽のパートを順番に受け渡していく「開始フーガ」っぽい部分が、 いれかわりながら、さまざまな情景描写(といっても、ヴルダヴァ(モルダウ)ほどは直接的ではない、、、はず)を重ねていきます。 特に最後の2曲では、急進フス派であるターボル派のコラールのテーマを軸に、 最後はほとんど「民族賛歌」のように高らかな「大団円」を築き上げます。 この2曲によって、それなりに各々に「起承転結」のある交響詩からなる「連作交響詩」が、 「全6曲」という統一感をはっきりと与える構成です。 ああ、しかし、 たとえば、小学生の頃(1970年代)だったら、 「圧制に苦しむ民族が、民族自決を求めて立ち上がって、独立を勝ち取る」 ということが、単純に「良いこと」とされ、 「支配者=悪、 独立闘争する民族=善」となっていて、 さしづめこの「我が祖国」などは、 ソ連(=悪)に抵抗したいチェコスロバキア(と当時はまとまっていた)の人々の思い、、、 みたいななぞらえもされていたのですが、、、 今みたいに、 バルカン半島からルワンダ(ツチ族・フツ族)は言うに及ばず、 各地で「民族の独立」を求めて、民族同士が殺し合い、 お互いが加害者になり、被害者になり、、、ということを見ると、 「平和」と「支配」の関係も単純ではない、、、とも思えてきて、、、 チェコスロバキアなど、一応、チェコとスロバキアの二国・二民族が 「平和裡」に分かれたからよかったようなものですが、 よきにつけあしきにつけ、「共存」してきたこのニ民族も、 民族自決を是として、「独立」してしまいました。。。 これで、もしどちらかが「イヤ!」と言っていたら、 殺しあってでも独立すべきものだったのかどうか、、、 (クーベリックが振ったとき、ハベル大統領は、 チェコスロバキアの大統領、、でした、、、) まあ平和でよかったです。 そんな風に、価値観もいろいろ変化しますし、 そもそも、「民族」の定義もとらえよう、、、、ともいえるでしょうし、 「支配」の定義も、どのみち昔は「民主国家」ではなかったわけですから、 ハプスブルクの支配がそれほど「圧制」だったのかどうか、、、 あのマリア・テレジアは、女帝となったハプスブルク家の帝国を潰そうとして起こした、 「継承戦争」に対抗するために、 帝国内のハンガリー王国の首都プラチスラヴァ城(今はスロバキア)に入って、 ハンガリーを守る!!ことを誇示して、 「議会」の(軍事的な)支持を受け、「帝国」の一体性を保ったりしたくらいですし、、、 (一応、彼女がハンガリー王(歴代兼任)の戴冠をしたときのことだそうで) ましてや「国家」なんて、とても人工的なもの、、、 それもそれほど、深遠な哲学的な意味ではなく、 ヨーロッパですら、ここ1~2世紀くらいの概念、、とも考えられます。 「国家」の定義、、ってありますよね。 領土、主権、国民、、、でしたっけ? 定義せなあかんようなもん、、、ってことですよね、、、 そんなわけで、 「音楽」に比べて、「社会思想」は比較的わずかの間に変化するので、 音楽は音楽として、、、というところが、 結局のうけとめかたなのかもしれません。 それが音楽のよいところ、、、ともいえるかもしれません。 閑話休題、、 さて、 金管楽器は最後までパワーは衰えません。 オケのローカル色については、音色という意味では、 むしろ、ニュートラルかもしれません。 ホールが同じとはいえ、席が違うので、客観的な比較とは行きませんが、 チェコフィルとくらべてもニュートラルかも。 また、昔の東欧の特徴だった、管楽器(特に金管楽器)のビブラートもあまりありません。 もっとも、チェコ・フィルでも、かつて十代で首席ホルン奏者に就任したラデク・バボラクは、ミュンヘンフィルの首席を経て、今、ベルリンフィルの首席ですから、「目指すもの」が変化してきた、、というものなのかもしれません。 でも、そうした「ローカル色」はともかく、 特に、木管はクラリネットを中心にとてもきれいでした。 かなりな水準と思います。 音色も整ってそろっていて、和音も、フレーズもとてもきれい。 さすが!!!です。本当に。 ホルンのトップもこの曲は、比較的ピアノで剥き出しの高音のソロが後半以降多いのですが、 安定して優秀でした。 楽器は、おそらくは、トリプルホルンを使っていたようで、 ディスカウントホルンらしい(違ってたらすみません)細身の間違いの無い、少しだけ「ホルンらしさの少ない(とっても昔のように「コケてもOK」という時代ではないですから仕方ないですね)」ノーミスの演奏でした。 トランペットはやや昔の東欧っぽい、押し出しの強い堅い音で、かつトップ奏者がやや目立つ形で演奏していたようです。 全体に整った、聴きやすい演奏ですが、 最後に向かって、どんどん緊張感を高めていって、 迫力と祈りと願いに満ちたフィナーレにまで至り、 金管楽器は最後まで余裕を持ちながらも、きれいに大迫力で締めくくりました。 これほどの曲を演奏したら、(確かに、1回のコンサートとしてはややトータルの時間は短いですけども)アンコールはしないのかと思っていたのですが、 つかつかと戻ってくると、 ドボルザークのスラブ舞曲 第2集から第1曲(スラブ舞曲集第9番 ともいう)でした。 のびのびと、おおらかに、全体にフォルテ寄りで、 活き活きと演奏されます。 クラリネットの楽譜が、1stと2ndが入れ替わっていたようで、 吹きながら、ふたりが楽譜を交換していたのが、「楽隊」っぽくて面白かったです。 (ブラバンとかではよくある光景ですよね。。) また、トランペットも、アンコールでは、「もう、セーブせえへんでも、最後やもんね!!」的な開放的このうえない、まあ「思いっきり吹き」をしていたのがまた曲調にも合っていて、楽しく、伸びやかかつ華やかにコンサート全体が締めくくられました。 しかし、 本当に、通して聴くと、とても、すばらしい曲です!! 美しく、変化と慈しみに満ちていて、ドラマチックで、しかも、最終的には「肯定的」(聴覚を失っていたのに)!! そして、ライブで聴ける「我が祖国」としては、 さすが本場の熟練した演奏、、、 とても良質な演奏に触れることができました!!! ちなみに、特にドラマティックな演奏(ただし自然なもの)としては、 クーベリックがチェコフィルを振った、プラハの春 のライブがあります。 ライブならではの、アンサンブルのほころびもありますが、 それでも、もう「熱にうかされた」といってもよいような独特の熱気が全体を貫き、 独特のものになっています。 (その意味では、その10年ほど前にバイエルン放送交響楽団と録音したものをちゃんとまた聴きたい、、と思っているところです。例によって放送録音では聴いたことあるのですが録音状態がよくなかったため、演奏の印象も薄かったので。) そのクーベリックが、奇跡の復帰を遂げて、実は1度だけ来日し、 このザ・シンフォニーホールでも、「我が祖国」を演奏したことがあります。 その後すぐ彼はまた引退し病没したのですが、 その演奏会、いけなかったこと(いかなかったこと)はいまでも悔やまれます。 大阪、ザ・シンフォニーホールでも、そうした歴史的(音楽上のことですが)な事件がおきた時代もあったのです。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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