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カテゴリ:ココロに思うこと
大して故郷というものに思い入れはありません。 僕にとって、振り返る故郷らしきものには、いつも何かしらの違和感を持っていたものです。 脳裏によみがえる同窓生の顔について思い起こすことは、支離滅裂で予測不可能な言葉を発してくる機械のようで、僕という機械はそれにどうレスポンスすればよいか必死で考えていた記憶しかありません。 父親と母親はといえば僕には理解しがたいお面を被っていて、撫でても叩いても切り落としても駄々をこねても出てくるものはといえば、全く同じお面のようでした。 田舎の、といっても同じ町内でしたが、祖父母の家に夏休みの間は一ヶ月近く滞在していて、いったいこの二人との退屈な時間をどうやり過ごせばよいのかと、カレンダーを眺めていました。自分で楽しむということのできない愚鈍なこどもでありました。
たいていの場合、故郷とは僕にとって形式的なものでした。
一週間ほど前、祖父が他界したのですが。
「ああ、この祖父でも死ぬのだな」 という思いでした。 毎日半升近くの酒を飲み、色んな場所に顔を出し、やりたいことを楽しくやり、
帰省して既に棺桶に納められた祖父の顔は、たまたま帰省して話をした3日前と同じ顔でした。
突然のことで、父親や叔父たちも押し流されるように葬儀の準備に動かされ、わずかながら自分もそれを手伝い、何だかよくわからない出来事を何だかよくわからず処理していきました。
祖父だったものが家を出るときになってはたと、もうこの家に帰ってきたとき祖父はここに居ないのだと気づきました。 その喪失感を堪えきれず涙を流しました。 自分の過去に連なり、しかしどこもかしこも抜け落ちた空洞ばかりのもの。
祖父の思い出はこれ以上積み重ねることができない、ここで積み終わりだと気づきました。 退屈であったはずの形式的な日々はもうやってこない。非常に身勝手であるのですがそれはどんなにか悲しいことか。
人の死を悼むということは、 その人がいなくなったことを悲しむということは、
僕にとって、この形式的なものが故郷であったことは驚きでした。 田舎の祖父に会うということは、僕にとっては面倒だと思っていたことで、そして祖父は当たり前のものであるということであって、そして今では当たり前のことであったはずのものなのです。
ふるさととは、自分の元であり、自分の考え方や在り方の基礎となるものでしょう。 祖父は僕にとって形式的なものでありました。いわば些事でした。 しかし、今祖父は間違いなく僕のふるさとです。 小学五年生のときに遊びに行った下級生の家には、お婆ちゃんがこたつに入っていました。 これは極めて些事でした。どうでもいいことです。 しかし、これもふるさとの一部です。
僕にとって故郷は、どうでもいいことの集合体のようです。 我々が他の人や社会との関係性を持つとき、我々が自分を社会的に何者であるかと考え、どのような足跡を残し、そしてどう社会に捉えられるかということは、極めてどうでもいいことの積み重ねなのではないかと思いました。 仲の良い友達とどこへ行ったか、大好きな相方とどう日々をすごしたか、仕事はどれほど意義のあるものか、大好きなバンドのライブがどう楽しかったか、家族をどれほど愛しているか。 どうでもいい人とのおしゃべりや、仕事の上でのつきあいとか、すれ違った人との会話とか、どうでもいいニュースとか。 何もかも失ったとき、自分に対して支えになるのは自分の大切にしてきたもの。
とても不思議です。
祖父は死にましたが、祖父の作った人とのつながりは残り、そしてそれは形を変えて僕にも新しい関係性をもたらしてくれます。 僕が死んだとき、僕の作ったふるさとは残るのでしょう。
僕は自分の好きなものに満足して死にたい。
祖父は僕の夏休みのcomponentでした。 僕は祖父をとても愛しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 28, 2006 01:48:21 AM
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