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テーマ:暮らしを楽しむ(388262)
カテゴリ:写経の勧め
日本福祉大学のキャンパスが近い。 学長名で学生の無断駐車を禁止する立て札があった。 読経を終えて一字入魂・心経写経・御摩木に願掛け。 御朱印を戴きに納経所に。 4人の御婦人が先客。大体連れ添ってくる方は、一人が御朱印をまとめていただいている間に読経しています。 この方達もそうでしたが、御朱印を戴きに来た方は何かお話好きなみたいでがんが治ってねえなどと会話しているのが聞こえてきました。 しばらく待って印を戴き、その際に御摩木分の200円を喜捨していないので一緒に受け取ってくださいといいますと、前の方には内緒ですよと言っておいしそうなお菓子をくれました。 御朱印と一緒に戴いたマッチには、 恩を知って恩に報いる報恩寺の文字が・・・。 今度お邪魔する時には何か持参して行きたいです。 先日お邪魔したお寺で、少し、不快に感じた出来事がありましたが、大体大きなお寺さんは人当たりがよく壇家が多くて寄進も多いのだろうなと感じます。 ■ご由緒 当山は、源義朝公の武将、鎌田兵衛二郎政清の菩提をとむらうために創建されました。 鎌田政清は、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝公に従い、この地に逃れてきました。 そして、野間の荘司である長田忠致の館に滞在していた時、謀叛に主従ともに惨殺されたのでした。 政清は、平治の乱における功労第一の武将とされています。 その政清の菩提をとむらうため、乳母だった報恩寺殿乳竇貞哺大禅定尼が当山を建立されたのです。 往古は天台宗でしたが、永正年間に天沢院2世・雲関珠崇禅師が再興し、曹洞宗に改め現在にいたっています。 このとき禅師を招いたのが、野州大守の水野一初逸賢公でした。 法名は大元院殿一初全妙全定門。 公は、緒川城主の水野蔵人貞守の嫡男で、衰微していた当寺の様に心痛し援助を惜しまれなかったということです。 乳竇山報恩寺 知多郡美浜町奥田会下前39番地 0569-87-0438 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月20日 15時56分46秒
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