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カテゴリ:写経の勧め
平治元年京都六波羅で起きた平治の乱で、平清盛に敗れた源義朝は美濃からの追手を避け野間の長田忠致を頼ろうとして内海から上陸した。 長田忠致は源義朝の家臣鎌倉正家の伯父。 源義朝は大いに歓迎されたものの謀られ永暦元年1月湯殿を襲い殺害された。 この時武器も何も身に付けて無い義朝は『我木太刀一つあらば討たれはせん』と悔やんだと伝えられる。 この伝えから源義朝公の墓には、霊を弔い多くの木太刀が奉納されている。 大御堂寺から野間大坊へと向かう道の途中に天邪鬼がいた。 [天邪気(鬼)あまのじく] 座像『仏教では悪業煩悩のことを天邪鬼といい、護法神の多聞天が足の下に踏みつけ、人の心が天邪鬼にならないようにしていると 説明の立て札を読んでいると突然、駐車場から砂嵐が・・・。 山門は2月までは17時に閉まります。今日は16時半には入れました。 御朱印いただける時間が17時までが多く、先日、別寺に17時半に行ったら、厭味の様な小言を言われました。 このお寺も源氏ゆかりのお寺。 本堂の間口はものすごく広い。お札などもたくさん売っています。 左側に弘法大師をおまつりする。 四国八十八ヶ所巡礼も出来ます。 <本四国巡拝路> 本殿の前庭には「お砂踏み」 四国八十八箇所巡りのお砂踏みが造られ、四国八十八寺の名称木札が立っている。 寺宝も多く、梵鐘は国の重要文化財、弘法大師直筆般若心経など、相当数におよぶ。 山門を出た所に仏足石があり、説明看板を読みながら拝む。 <福力運 仏足石> 宝塔中心の梵字マニを「オンマニソワカ」と称えて回すとあらゆる病脳を除くといわれている。 健康・長寿・家内安全 <血の池> 源義朝公のお首級を洗われた旧跡地で首洗いの池とも呼ばれている。 (平治元年のこと) 鶴林山野間大坊 知多郡美浜町大字野間字東畠50番地 0569-87-0050 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月25日 11時59分15秒
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