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テーマ:暮らしを楽しむ(388247)
カテゴリ:写経の勧め
本堂中央ご本尊右側に弘法大師をまつる。 弘法大師はここで一千座の御護摩を修められ、「鎮護国家」を念じられました。 開創200年記念の宝塔は弘法大師さんの御手と繋がっています。 ココのものは他の寺と比べると倍以上はあろうかという立派なものでした。 源氏ゆかりのお寺でもあります。 このお寺も敷地内の野間大坊とともに、知多半島では有名。 1160年、55番札所法山寺脇の風呂場で入浴中に、長田父子に暗殺された源義朝は、絶命の際に「木刀一本でもあれば・・・・」と無念さを言い残す。 ということで、小さい木刀に願い事を書いてお墓に奉納するならわしが今も続いています。 境内の脇にある血の池。 この池で源義朝の首を洗ったと言われています。供養する塔婆が立てられています。 1159年(平治元),平治(へいじ)の乱に破れた源義朝(みなもとのよしとも)は,数人の家来と共に美濃から伊勢湾に出て知多半島沿岸から野間(のま)に落ちのびた。 家来の鎌田氏の義父である長田忠致(おさだただむね)を頼ったのである。 義朝は正月を忠致宅で過ごすが,平氏からの恩賞を目当てにした忠致に浴室で殺されてしまう。 現在,大御堂寺(野間大坊)には義朝の墓がある。 その墓には義朝の最後の最期の言葉「せめて木刀一本でもあれば殺されず済むものを」にちなみ,多くの木刀が供えられている。 なお,忠致は頼朝(よりとも)挙兵の折,父子共々頼朝に罪を詫び,「身命を惜しまず抜群の軍功をあげるならば,罪を許し美濃・尾張を与える。」という頼朝の言葉を信じその後の合戦では大活躍したという。 しかし,頼朝はこの忠致・景致(かげむね)の二人を恩賞として義朝の墓の前で磔(はりつけ)にしてしまう。 約束通り「美濃,尾張(身の終わり)」を与えたのである。 もちろんこれは後の書物にのった物語である。 山門、源頼朝が建立したものです。 鐘楼堂 鎌倉五代将軍源頼嗣公寄進の梵鐘がある鐘楼堂。 梵鐘は建長2年の銘があり、国重要文化財に指定されている。 鶴林山大御堂寺 知多郡美浜町大字野間字東畠55番地 0569-87-0050 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月25日 12時27分36秒
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