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カテゴリ:写経の勧め
先月より始めた知多四国巡礼。
3月17日に古見妙楽寺の亮山上人が夢告によって四国巡礼の発心がはじまり。 内装屋さんも良い夢が見れますようにと日曜日には、上陸大師をお参りに行きました。 でも ブログにも書けない様なくだらない夢でした。 ちゃんちゃん。 知多半島は陸続きで細長いが四国の地形に類似、白砂青松、気候温暖、古代万葉のころから訪れる人が多くありました。 350以上の寺院があり信仰心の篤い所であります。 知多四国88ヶ所霊場は文化6(1809)年3月17日、知多市妙楽寺13世亮山上人が弘法大師の夢告により開創を決意されたのに始まります。 「この知多の地は、わが宿縁の地である。よってここに八十八か所の霊場を開き、有縁の衆生を済度するがよい。亮山を助けるため、二人の行者を遣わすから、三人が力を協せ、信心の篤いこの地の人々の援助を得て、この大業を成し遂げるように」。 枕辺を見るとありがたい四国のお土砂が盛られていたといわれます。 弘法大師は弘仁5(814)年御歳41の時三河から舟路で知多半島の東岸を南下され南知多町大井の聖崎へ御上陸、同地の医王寺と山を越えた山海の岩屋寺で護摩行を修せられ、野間へ出て陸路西岸を北上されたと伝えられています。 聖崎・岩屋を初め、砂聖・仏山・求聞持山・明星水・弘法井等々大師ゆかりの霊跡が多数残されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月24日 08時22分19秒
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