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カテゴリ:生活
ゴールデンウィークはどこも人の山。というわけで、前半は野尻湖の山の家で新緑に触れ、後半は地元をうろうろしている。
5月4日、5日は、清正公のお祭り、そして、フリーマーケット。 白金高輪の支所前のフリーマーケットは、2年に一度くらいのペースで出品している。今年も、家の要らないものをかき集めて、真夏の日差しの下、束の間、露天商に変身した。 出品にあたり、家の整理をしたら、今年は、うんざりするほど、要らない本の山が出来た。 「もう一度、開くことがあるだろうか」と自問をして、「ノー」であれば、迷わず、本棚から下ろした。 作業のなかで思ったのは、ものごとって賞味期限がある、ということ。 株、金融、経済関連の本は、3年たつと、ほとんど読み返すことはない。いまだに金融業界に身を置く私だけど、これから、経済学者になるわけでなければ、もう、モジリアーニミラーの理論を勉強し直すことは永遠にない。それがだいたいなんだか、分かっていればいいのだ。企業金融の本も、株の罫線分析の本も、もう、これからの私の人生に役立つとは思えない。 ヨーロッパやアメリカに行くごとに買い込んだ、インテリアの写真集、横文字の小説や、美術、絵画の本。高価だったわりには、読み返すことは少なかった。やたら大きくて重くて、場所をとる。思い切って処分。 とくにフランス語の本は、帰国したら買えないと思い、やたら買い捲った。20代、パリに留学していた私は、「古典はこれからの思索の基礎」と思い込み、ギリシャ神話、フランスの歴史、ボルテール、トクヴィルなどの啓蒙時代の名著から、現代哲学までそろえたが、その後、人生の波に押し流され続けるうちに、いつしか、フランス的教養や思索への志は完全に消えうせ、せいぜい、今でも役立っている本は、ワインの本とパリの地図くらい。 さらに、より最近、大手町の地下鉄構内の本屋で手にとるベストセラーの類。一応、衝動買いは避け、3日くらい考えてから買うのだけど、30分くらいで読んでしまえば、二度と読むことはなく、内容も覚えていないものが大半だ。 さて、私の本棚で、生き残っている本、いまだに手放す気がしない本とは、どんな本か。 アンナカレーニナ、細雪、宮沢賢治の童話など、高校時代に読み、その後も3度以上読んでいる数少ない文庫本(高校時代に制覇できなかった古典は、もういまさらダメです)。 料理本(意外や意外、これは何度も何度も古い本でもボロボロになるまで読み返します)。 老子、易、仏教の本(これは、30代後半以降の趣味です)。 でも、こうしたマイブックも、10年後には、どうなっているか分からない。 時間の洗礼を浴びて生き残るモノは、まことに少ない。 私のほぼ全ての持ち物は、やがてくる私の死によって、無価値のガラクタになるだろう。 服も、家具も、思考も、人間関係も(ガラクタ化しないのは、不動産と現金!)。 私のなかで、モノや知識を溜め込む時代はいよいよ終わりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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