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テーマ:たわごと(26890)
カテゴリ:生活
なけなしの時間、睡眠不足になりながら、高峰秀子の出演している昭和20年代から30年代の邦画ビデオを見つけては、見まくっている。
どれもこれも、派手なアクションやラブシーンはないのだが、ストーリーが素晴らしく、高峰秀子の演技はとても説得力があり、思いっきりヒロインに感情移入してしまう。 そのなかでも気に入ったのが、成瀬巳喜男監督の、女が階段を上る時。 銀座のバーのマダムの話なのだが、私の渡世物語などで知った、高峰秀子自身の人生を重ね合わせると、彼女の表情に、まことに味わい深いものがある。 マダムの圭子は、水商売が大嫌いなのだが、夫に死なれ、経済力のない実家の母や兄一家を抱え、金のために働かざるを得ない。毎晩、着物を着て、髪をセットして、覚悟を決めて、ビルの階段を上る。店に一歩入るや、見事な笑顔を作り、虚構の世界を生きるのだ。 衣装や音楽が、クールでかっこいい。 高峰秀子という人は女優という仕事が大嫌いだったが、養母をはじめとする扶養家族を抱え、やらなければいけない以上、一生懸命やった。一生懸命やった結果、後世に残る仕事をした。 哀しみをたたえたその細い肩、つりあがった眉毛、後ろ姿が、見事にヒロインの姿にはまる。 銀座、大手町、丸の内、佃。私がまだ生まれる前の、昭和30年代の東京。バーの客は、銀行の支店長、工場主や、関西の中小企業オーナー。財力をバックしにした男は大枚をはたいてバーに通い、女は玄人と素人に厳然と分かれている。 半世紀近く前の、東京の風景、男と女の有様は、今とはとても違っていて、エキゾティックですらあるのだが、映画のなかでどきっとするシーンがあった。 主人公の高峰秀子が、ひそかに愛する、自分の客の銀行支店長の森雅之に集金に行くシーンだ。 大手町ビルの1階の廊下を着物姿の高峰秀子が歩いていくのだけど、私が毎日通っている、今の大手町ビルと同じなのだ。 大手町の風景はまるっきり変わってしまったようでいて、大手町ビルは不思議なくらい、半世紀間、変わっていなくて感動した。 今の私の年齢は、映画の中のバーのマダムより10歳も上だ。私は、彼女ほどの人生の重みと哀しみを抱えて生きていているわけではない。でも、幸せを求めて、仕事か結婚か揺れる彼女、金と義理にまみれながら、男への純な愛情を抱き続け、だまされて、振られて、どうしようもない気持ちを抱えながら、今日も階段を上る彼女の気持ちが痛いほど分かる。 男は今も昔も、ずるいね。 そして、私もまた、明日も階段を上る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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