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カテゴリ:大震災
新聞はもう信じていないが、こういうところだけは読む。 坂田明がこんなに書ける人だとは知らなかった。 『「生きていく役割 あなたにも!」 私たちは天変地異に対してはほとんど無力であり、大災害は非情にも、人知の予測を上回った結果起こります。被災するという不条理は人類の誕生以来、地球上に断続的に続いていることであります。地殻変動は地球誕生以来約46億年止まりません。 私も岩手県、宮城県の三陸沿岸の友人を捜しました。ある人は連絡がつかなくなりましたが、ある人たちは連絡がつきました。 苦しみ、悲しみ、喜び、楽しめるのは「生きている人だけ」であります。自然界は決して生きとし生けるものたちにいつもやさしいわけではありません。しか し、天変地異が起こっても、太陽は出るし、津波が全部持っていった荒涼とした町や村に、何事もなかったように星は輝き波は打ち寄せてきます。不条理という ほかありません。 苦しむ人は「苦しい」と叫び、巡り合えた人たちは「よかったよかった」と抱き合って喜び、家族を失った人は嘆き悲しみ、捜している人は「早く見つけてあ げたい」と泣き、温かい芋煮を食べている人は泣きながら喜び、水道が出たといって喜び、それをこちらは夕食時にテレビで見ては毎晩泣き、はては何もしてあ げることがないといっては泣きと、いう人たちもいる有り様です。 しかし、この時を共に生きていることそれ自体が、被災した人も、そうでない人にとっても、互いに大切な役割なのだと思います。もし、あなたが生きていな かったら誰が被災した人の悲しみやつらさ、無念さを受け止めてあげられるのでしょうか? 被災しなかったことも役割なのです。生き残った人には、生き残っ たことで次の世代に命をつないでいく役割があります。起こったことを伝える役割もあります。無念にも突如として命を奪われた人は「人間にはこれ以上の悲し みはないぞ」ということを、その人たちの尊い命で、生きているものへ重く伝えられました。 谷川俊太郎さんの書かれた詩に故武満徹さんが曲をつけた「死ん だ男の残したものは」という歌があります。そのなかに「死んだかれらの残したものは、生きてるわたし、生きてるあなた、他には誰も残っていない」とありま す。 生きているものが残らなければ、誰も残っていなくなる、ということではないでしょうか。生きているものが明日に向かって生きなければ、亡くなった人たちは報われようがなくなる気がします。そして誰が弔ってあげられるのでしょうか。 歌は続いて「死んだ歴史の残したものは、輝く今日と、また来る明日、他には何も残っていない」と終わります。被災地に今日輝く太陽や星は、無常でも非情 でもあるかもしれません。でも太陽が出なければ、星が輝かないと、希望はありません。そしていつものように明日が来るのです。明日が来なければ生きていけ ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月06日 00時42分24秒
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