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カテゴリ:ファミリー
(こちらのお話はシリーズとなっております。前回の記事を未読の方はこちらからどうぞ♪) さてさて、不思議話、日光編。益々不思議度が増して行きますが、よろしいでしょうか?! (笑) 日光に行く直前、私はある方が霊視された記事で、戦国時代の驚くべき真実(と思える内容)を教えていただきました。 時は安土桃山時代~江戸時代初期。 そこには、織田信長が討たれたとされる本能寺の変~徳川家光の出産の背景に至るまでの「知られざる真実」の経緯が、まるでその状況を目の当たりで見ているかのように語られていました。 「なんちゃって霊視なので信憑性はありませんが」とご本人は謙虚に言われているのですが、歴史に疎いその方が、大河ドラマをも凌ぐような迫力の台詞を次から次へと書かれ、歴史上疑問が残るとされていた箇所をすべてクリアーするような、非の打ち所のないような内容に、その霊視を疑う余地はありませんでした。 さらに、私たちが学んだ歴史の多くは事実ではなく、史実が時の権力者によって都合の良いように書き換えられているのだということを知ることになります。 そして、その霊視の主役とも言うべき主軸となった人物が2人いました。 それは「ある武将」と「天海大僧正」でした。 ある武将とは、天海の武士時代の一族の当主のこと。 また、その記事には、天海と当主の血縁関係にも触れられていました。(霊視によるものなので、いずれも歴史的資料には一切書かれていないことなのですが、天海と思われる人物の生年月日と没年齢がイメージが一致したそうです。) 別に日本史に詳しいわけでも特別興味があるわけでもない私が、その記事を読んで何度も涙を流してしまったのです。 そして、日光に行くと決まったとき、私はこの戦国時代に無念の想いを残したであろうその当主と一族のために、お祈りをしてこよう、と思いました。 そのことを高次元とアクセスできる信頼できる方にお伝えしたところ、驚くようなメッセージを頂くことになります。
一瞬の驚きの後 「ああ、そういうことだったのか・・・。」 興奮とか驚嘆というよりも、納得し、冷静に受け止める私がそこにいました。 日本史には殆ど興味のない私。でも、天海の当主だったという人物が大好きだったのです。
妻は勿論のこと、領民や家臣をそれはそれは大切にし、善政を布いた武将。 傷ついた家臣を気遣う数多くの手紙。なくなった家臣を弔う神社に寄進したお米。 こうした話がいくつも残っている人でした。 そんなエピソードを見聞きする度に、志半ばで壮絶な最期を遂げたその当主のことを想うと、切なくてたまらなかったのです。 歴史の1コマに出てくる人物に、何故そんなに思い入れがあるのか、自分でもすごく不思議でした。なにしろ、そんな想いが十数年以上も続いていたのです。そんな自分が不思議で仕方ありませんでした。 肉体的子孫。 その言葉を聞いて「ああ、やっぱり他人じゃなかったんだ。」と妙に納得する自分がいました。 また、そのメッセージでは、天海と当主が縁者だということも書かれていました。 繰り返しになりますが、これらは歴史的な資料では一切書かれていない事柄です。ですが、私が「真実が書かれていると確信している霊視の記事」と「とても信頼している方」から、同じ情報が別々に届けられたのです。 単なる偶然とは思えませんでした。 さらにその後、私と当主との関係や名前などについても具体的に教えていただきました。 余談となりますが、今回色々と情報を下さった、我が家がとても信頼している方は、基本的に「すべての情報を相手に伝えない」というスタンスを取っていらっしゃいます。多くの情報を伝えることが、かえって相手のためにならない場合もあるからです。 ですが、今回は様々なタイミングがあってのことと思いますが、とても具体的な内容を色々と教えていただきました。 そして、怒涛の如く入ってくる情報の数とあまりのシンクロの多さに驚かされることになります。 情報が届けられる、ありえないような「タイミング」。 至るところにメッセージが隠されていたのです。点と点が天によって繋がれていく・・・。 まさに「導かれている」そんな気持ちになりました。 そして 「今いただいている様々なメッセージは、見えない存在から送っていただいているんだ。」 そう確信しました。
それは、日光に行く前日のことでした。 (続く)
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