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カテゴリ:ファミリー
(こちらのお話はシリーズとなっております。前回および関連記事を未読の方はこちらからどうぞ♪)
非力な私一人で読経やお祈りをするのではなく、念じる力の主人に読経と祈りを一緒に捧げてもらいたい。日光に来る前からそう思っていました。 過去生において何度も僧侶(と石屋)をやっていたと言う主人。だからこそ、主人に日光の地でお祈りをしてもらうことにも大きな意味がある、そう思っていました。 主人の読経の響きは、きっときっとたくさんの魂を浄化することが出来るに違いない。そう感じていたからです。(主人の読経の声からは、特別な響きを感じるのです。) そんな私の思いを汲んでくれていたかどうかは不明ですが、ポイントごとに快く一緒に読経を上げてくれた主人に心から御礼を言いました。
主人と再び、拝殿の前に戻りました。 娘は転がっている花梨を拾って並べていました。 「この後ろに天海のお墓があるんですよ。良かったら行きませんか?」 特に天海に興味があるわけでもないKちゃんに、なんとなくそう声をかけました。 「いえ、私はいいです~。」 そんな答えが返ってくるのかな、と思いきや、 「へー、そうなんやー。はい、行ってみます。」 というお返事が。ちょっと予想外の反応にビックリしながら、Kちゃんと一緒に本日三度目となる天海の墓石塔の前へと進みました。 「ほら、ここ。」
天海の墓石塔の周りは、六部天像に囲まれています。 梵天、帝釈天、広目天、増長天、持国天、多聞天に囲まれている、天海大僧正のお墓を見ながら、Kちゃんがポソッと呟きました。
こうしてね、隠すように、守られるようにあるんですよ。 大事な場所って、大抵そうなっているんです。」
ですが、ここに来る道は、大勢の人が行き交う東照宮とは「次元」が変わる印象を受けるほど、空気が違いました。 「慈眼堂」は天海大僧正の死後に名付けられた「慈眼大師」という*諡号から来ています。 天海大僧正は、ある意味「次元」の違う人だったのかもしれない。そんな想いも込められてこの名が付いたのかな、そんな風に思いました。 そして「ああ、この地は次元が違うんだなー」となんとなく感じていたのは、この地がある意味「守られるべき特別な地」故の霊域だったからなのでしょう。 まるで時が止まったかのような静寂な空間に、4人。 「そろそろ、戻ろう。4時半までに間に合わなくなる。」 主人の声で我に返りました。 もっともっとこの地にいたかったのですが、3次元の時間は着々と進んでいます。 先程息切れしながら登ってきた延命坂の階段を今度は急いで降りていきます。 (続く)
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最終更新日
2009年12月30日 01時08分24秒
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