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三昧境(さん・まい・きょう)~自分らしさを鍛える、利かす、そして愉しむ~

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タイゾー@KY

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御殿の中 ciamiさん

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2011.05.22
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カテゴリ:日記・随筆。
吾、唯足るを知るという言葉がある。


枯山水の石庭で有名な京都の龍安寺
にはこの言葉を記した蹲(つくばい)が
あり、目の当たりにした時に一瞬で
心に深く重く響いた。


その意味については今でもよく考える。


「私はただ足りることを知っている」、つまり
満足していると理解できる。

また何が足りていることを知ることで、
反対に足りないもの、満たされてないもの
を知るという意味にも取れる。


解釈は色々だと思うが、自分にとっては何か
途轍もない大きな存在や力を感じる言葉である。


先日、中野孝次氏の『清貧の思想』という本
を読んだ。著書には人生の意味を知る(悟る)
には清貧であることが良いと述べられていた。


貪欲、慳貪になり物に溢れる生活をしても人は
決して幸せとはいえない。

貧しいことで初めて生きている刹那を
心底楽しめるという感性が身に付く。


中野氏がいうところは、貧しいことで精神が
研ぎ澄まされ、本当の幸せや生きる意味を悟る
受容体を生成するということであろうか。


松尾芭蕉、鴨長明、吉田兼好、良寛など貧しかった
が清貧であることで艶のある生命を感じて、それを
歌や詩、随筆として記し残した。


時を越えて彼らの感性を古典を通じて体感する
ことができると、中野氏は『清貧の思想』で
伝えてます。


自分に置き換えれば、やはり大量消費の生活
には罪悪感を感じながらも、それはそれで今日
を生きていくには必要なことだと思っている
ところがあります。

だから『清貧の思想』を読みることで、今の
ままでは生命感を伝えるような表現は身には
付かないと考える契機となりました。


少なくとも陶芸なんてのをやっていると自分の
作り出すものに責任は感じてます。人に気持ち
良い、心地よいと思える物を作りたい。



中野氏の『足るを知る ~自足して生きる喜び~』
は『清貧の思想』の続編といえるもので、自由で
あることが人生においては一番大切なことである
と提案する。


確かに自由であれば幸せです。


では、今日の社会ではどんなことから自由であれ
ばいいのでしょうか。


仕事のこともあるし、収入、評判なんてのも、
有利にこの世を渡って行くには大切に感じます。


でも、それに縛られたり、囚われることは、逆に
不幸せであり、ストレスであり、不自由である。


生きていれば、何らかの拘束や柵(しがらみ)は
あるわけで、物理的にも精神的にも解放されるっ
てのは難しい。

でも新しい視点で世界をみなければならないのかな…
そのためには清貧であるべきなのだろうなぁ。


覚悟がいるんだろうなぁ


まだまだ答えは出ない…


吾、唯足るを知る…


また、この言葉を頭の中で反芻してます。







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Last updated  2011.05.28 02:07:07



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