竿竹
最近ね、特に思うんですよ。リアム・ギャラガーっていいなってね。いやいやなんだよ急に、てか誰だよってね、思われると思うんです。まぁね、説明する気もないんでね、何かのイカレタ記号だと思ってくれればいいんですけどね、最近あの「クスリでキマった顔のロック雑誌の表紙」とか「尖がった靴を履いたやつなんて信用できねえ発言」とか「ストーンヘンジに忍び込んで御用」とか、もうね、羨ましいんですよ。いやね、私が好んで狂ったことをしたいなどと言ってるわけじゃないんですよね。なんて言うんですかね。体現したいんですよ。過小評価する自らと肥大しし続ける周囲のギャップを埋めたいんですよね。あ、ごめんなさいね。わけわかんないですよね。私もよくわからないんですよ。でもね、これだけは言わせてくださいね。大したことじゃないんですけどね。これだけは言いたいんですよ。あなた方の理解とは一体どこに存在しているんですか ってねごめんなさいね、わからないですよね。いえいえいいんですよ。私が悪いんですから。もっと上からの視線で私を見てくれていいんですよ。私なんてそんなものですからね。小さいんですよ、実際に見ると私なんてね。でもね、本当に感じるんですよ。じっとりと感じるんです。理解というもののブレをね。酷く感じるんです。今日は天気が良いですよね。こういう日は犬の散歩にいくんですよね。すると自然の摂理なら当然のごとく犬は糞尿をしますよね。あ、ごめんなさいね。そんなつもりはないんです。ただただブレの例えを言おうと思っただけなんですよ。不快な思いをしたのなら申し訳ない。でもね、そこで用を足すんです、犬が、いつもの陽が当たらない曲がり角で。するとね、奇妙な視線をこちらに投げかけてくるんですよ。上目使いでね、こっちを見てくるんですよ。静観なんですよね、それが。そうなると突然私はわけがわからなくなるんですよね。理解が私を超えるんです。ポンって小気味いい音を残して消え去ってしまうんですよね。これは本当に私を困らせるんですよ。体がブルブルと震えてくるんですよ。丁度、寒い季節に憶える最初の体の刻みに似ていると思うんですよね。目を逸らすんですけどだめなんですよね。もう捕らえられているんですよ。皆さんには分からないと思うんです、こんなこと。でもね、特別なことじゃないと私は思うんですよね。どこにでもあるんですよ。転がっているんですよ、読んで字の如く。爪の間の汚れとか白いブラウスにはめ込まれた厳つい肩パットとか第2次世界大戦中に活躍したホルン奏者とか、正にどこにでもね。でね、何の話でしたっけ。そうそうリアム・ギャラガーですよね。彼は単純に凌駕しているんですよ。そんなものをね。圧倒的に。ただのキチガイだろなんて言われたらそれでお終いなんですけどね。それはそれで正解ですし。あ、丁度今、竿竹屋の声が遠くから聞こえてきました。ちょっと行ってきますね。竿竹と宇宙空間における真空の折り紙理論を披露してこようと思ってるんです。理解してくれると思うんですよ。特に彼等ならね。