能望の成功塾塾長とのやり取り。
私の気づきをシェアしたいと思いますので、能望の成功塾の掲示板に投稿した内容をそのまま掲載します。何かの参考になれば、と思います。---鈴木塾長、お返事、電話相談ありがとうございました。塾長の文と声には元気を分けていただいております。心から感謝いたします。巷に流行る本は「△△の方法ではなく、○○の方法をすれば上手くいく」というものばかりです。(水平変換)しかし、塾長はそういう方法論ではなく「いのちの振動そのものを上げよう」という具体的な指導をされています。(垂直変容)この差は天地雲泥の差を生み出しますね。いのちの振動数を上げて元気にするのだから、車の燃費も良くなって地球環境にも良い。大変スッキリした分かりやすいお話でした。さて、メルマガのバックナンバーを拝読しておりましたら、(増刊47号)怒りや恐怖が右脳を閉じさせる、というお話が出ておりました。私もいろんな経験から瞬間的に不安、恐怖、心配にアクセスできるようになってしまっています。以下、それにまつわる感想です。似た経験をされている方への参考にもなるかと思い、長文ですが書かせていただきます。私が小学校の3年生から6年生までの担任の先生は、非常に子どもに対して否定的な見方の人でした。その影響が今でもあるように思います。今のところは、能望を唱えながら、そういうことが思い出されてきたら、まずはそのままのイメージを、イメージの中で和の中に入れています。そうすると少しは影響が薄くなるように思います。また、能望を唱えながらメルマガのバックナンバーを読んでいると、自然とエネルギーレベルが上がって、気にならなくなってきます。「気分がふさいできたら、とにかく能望+メルマガバックナンバーを!」これが今の私のこころの健康法の柱になっています。その先生は、「お前たちは罰を与えないと言うことをきかないから、最悪な方法だけれども罰を与える」といって、落ち着きのない子に漢字を50字とか、100字とか書かせる罰を与えたり、ただソワソワしているだけの落ち着きのない子を「分裂病!」と呼んだり、誰かが物を壊してしまった時、「お前はいつか何かしでかすと思っていたら、やっぱりやったな」と言ったり、双子の兄弟を比べて「お前の方が兄貴よりいい子かと思ったら、案外イカンな」と言ったり、知能テストの時にある子が「消しゴム使ってもいいですか?」と聞いたら、「間違えたのか?まだ間違えてないのに聞くな!」と言って叱ったりしました。ある全校集会についての説明が貼り出された時には、私は集合場所をはっきり読み取れず、現場で戸惑ったことがありました。その集会が終わってから教壇に呼ばれて、みんなの前で「先生がわざと分からんように書いたと思っとるんか!」 と言って、私が泣いて謝っているのに何度も叱られ頭も叩かれたこともありました。こういう経験を小学校の時に積み重ねていると、「自分は間違っているかもしれない」という自分への疑心暗鬼や「コレをすると怖いことになるかもしれない」という尻込みや「自分が完全に悪いかも、ということを真っ先に想定した方がいい」という罪悪感や「何をやっても上手くいかないのでは」という自己不信や否定的未来予測がクセになります。今でも自分には何か「呪い」でもかかっているのではないか、と思うくらい、成功や成就に対して強烈な制限が働いているのが分かります。「お前にはできない」「お前にはそれができてはいけない」こういう言葉が、何であれ少し調子が出てきたあたりで湧いてきて、どうにも身動きが取れなくなってしまいます。これは切実な悩みなんです。今のビジネスでも、ある程度のところまで来ているのですが、そこから先に伸ばしていく積極的な行動にどうしても移れません。ノウハウやコンサルティングも頼りにしましたが、自分の中に見えない壁があって、どうしてもそれらが有効活用できないのです。結局は意識レベルの問題なのだ、と痛感しています。つまり、「自分を制限する。不自由にする」というアトラクターパターンが私の背後に働いていて、それに対応する現実が引き寄せられているわけです。ですから、引き起こされる現象の背後にあるアトラクターパターンを「自分を解放する、自由にする」ものに変えるために、「幸せの和」に快適なイメージを入れて、あわせて能望を唱えています。私自身、この小学校時代の経験を消化する過程で、「あの先生も結構な歳だから、戦中、戦後の環境で、 こういう考え方をしてしまうような教育や躾を受けてきたんだろうな」と思って、その先生への怒りや憎しみに焦点を当てないようにしてきました。それに先生本人が気がついていないだけで、先生自身も誤った考え方の犠牲者なわけですし、私自身、こういう経験をするべくしてしていて意味があるのだ、と思い、感謝するように心掛けています。恨みや憎しみのアトラクターパターンを自分の背後に持たないように、かわりに感謝のアトラクターパターンを持つようにする。 それが大切だと思いました。とはいえ最近も、過去に恨みを感じてしまった人を(誰であれ)思い出すと、顔が赤くなるほど気分が悪くなったり、想像上でその人とまたケンカを始めてしまう自分もいますが・・・そんな時は、「それも人の心として当然だ」と自分を慰めつつ、気持ちが治まってからでも能望を唱えています。と同時に、自分が周りの人たちを同調して自分がとても楽な気持ちで生き生きと仕事をしている雰囲気を「幸せの和」に書き込んでいます。(これがなかなかできなかったのですが、今日塾長とお話した直後に いいイメージができました。ありがとうございました!!)翻って、鈴木塾長のメルマガを拝見すると、弥生時代以降、日本人は潜在意識が汚されてきており、天海の時代からはさらに「文化・教育」のレベルで意図的に洗脳されて人間観や行動の指針が変わってしまった、ということがはっきりと分かりました。私が漠然と感じていたことを裏づけを持ってお話くださり、溜飲がくだる思いです。天海も平和と秩序という意図のために、民衆の行動を制限する呪縛を民衆にかけてしまい、それが現在に尾を引いている、ということのようです。そう考えると、私の経験と天海が引き起こした呪縛が重なってきますので、理解が深まる気がします。私はセラピストとして悩まれる方の力になりたいと思っていますので、このカラクリが解明・解決されることはまさに私にとって財産となります。それができるための意識レベル200以上が自分の最低ラインとなるよう、確実にクリアしていきたいと思っています。また、能望を唱えていても、30~40分までは気持ちよくて、 その後急にエネルギーレベルが落ちたような感じになることがしばしばです。これは、潜在意識下のプログラムが変えられようとしていることに抵抗が始まっている、と捉えています。そんな時はしばらく休むとまた自然と唱えたくなってきます。時には「そこからが本番だ」と思って、その抵抗に巻き込まれないように「こういう抵抗があるなあ」と観察しながら、できるだけ唱え続けることもあります。ケースバイケースで無理矢理にならないようにしています。 また似た現象ですが、能望の実践をしていると、数日おきに、唱えられない、というか唱えたくなくなる日があります。 (だんだん減ってきましたが・・・)マイナスがドワ~~っと出てきて、自己否定感情が自分を支配する日が定期的にやってきます。(意識レベル二桁台の低さだと思います。)油断をして途中でやめるとマイナスが増長して大変なことになる、と言われていますので、とにかくそういう嵐のような日は 唱えられないことを責めずに通り過ぎるのを待って、1~2日して落ち着いたら、また精力的に始めるようにしています。もっと気楽な気持ちになれたら・・・と思っていますので、 できるだけそういうイメージを「幸せの和」の中に封入するようにしています。お金のシートは2週間ほど続けています。現在メルマガのバックナンバーも増刊50号あたりまで読み進んでいます。「パワーかフォースか」ももうすぐ2度目に入ります。能望は気楽に気長に続ける気持ちでいると、自然と1~2時間は唱えています。車の運転中に能望を唱えると、気がつくとスピードを遅めに運転していることに気がつきました。同時に、焦る気持ちやイライラする気持ちが不思議と消えます。(今までは、他の車にイライラすることが頻繁でしたが・・・)心の状態が良くなるのを実感しています。車のエンジン音と能望の響きを同調させると、車も喜んでいるように聴こえますし、実際燃費も良くなっています。燃費の向上というのも、こういう現象の総和として起こるのだろう、と思いました。能望は全てに働きかけるのですね。長くなりました。いつもありがとうございます。S氏の成功メルマが成功塾