『立川立飛歌舞伎』
10月25日から28日まで、立川ステージガーデンが初めて歌舞伎を上演した。地元の企業「立飛グループ」創立百周年記念事業とあって、祝祭の雰囲気漂う、印象的な4日間となった。「義経千本桜」から佐藤忠信に因んだ幕を通す「忠信篇」の上演は、三代目追悼の意味合いも籠められ、一門を中心に懸命の舞台となった。三代目が舞台に立たなくなって長くなり、三代目贔屓には馴染み深い「忠信篇」通しも、既にご存じない観客がすっかり多くなっていた。演目の筋立てを通し、物語を理解出来る上演の仕方に拘りがあった三代目のやり方を、改めて知らしめる良い機会になった。開幕に先立ち、中車の挨拶に続き、中村壱太郎と團子による演目解説があったのも親切。若い二人の、明確でユーモアを交えた解説は、観客と役者との距離を縮めた。今回、「鳥居前」は中村鷹乃資、「吉野山」は團子、「川連法眼館」は青虎と、三名で忠信役をリレーした。「鳥居前」の鷹乃資は、菱皮の鬘、火炎隈、馬簾付きの四天、仁王襷という古風な姿が素晴らしく映えて、花道の出の勢いから惚れ惚れと見上げた。凛として力が漲り、ひとつひとつの形の美しさ、素晴らしい初役だった。三代目の「鳥居前」の忠信の、熱く熱く、力と意志を発散する姿は、まるで火の玉のようだと言われた事を、懐かしく思い出す。今回は澤瀉屋型での忠信だが、回を重ね、鷹乃資ならではの天王寺屋での忠信を是非観たいと思った。今回の祝い幕には、静御前と忠信の、飛行機での道行きが描かれていた。それは、立飛グループがかつて飛行機製造に携わっていた事に由来があるが、團子の忠信の初フライトも祝されているように感じてしまった。「吉野山」は言うまでもなく大曲で、その上、澤瀉屋型だから為所が多い。まだ早いのであり、荷の重いこの踊りを、團子はひたすら懸命に務めた。それが先ず、嬉しいし、感動しかない。これが最初の一歩、これから何十年も掛けて團子ならではの「吉野山」を成し遂げていく。いつまでそれを観続けていけるか、長生きせねばならない。今回、静御前の出は花道ではなく、背景がパタンと倒れて、舞台上奥から登場。しなやかに物語を纏う壱太郎の、場面ひとつひとつを味わう。事前のインスタライブで、普段あまりやらない振りが今回はあると仰っていたが、比べ馬の箇所など久しぶりに拝見した。猿弥の逸見藤太は、パッと劇場中が明るくなり、晴れ晴れとした気持ちになる。嬉しい役者になったなぁと、有難くてじんわりしてしまった。この役にも、追悼の思いが籠ってしまうから…開場して劇場に入り、まず見上げたのは、宙乗りの為のワイヤーだった。今回は、縦に長いステージガーデンの、舞台下手側から客席三階の上手側まで、斜めに張られており、大変な長距離飛行になる事が判った。「川連法眼館」つまり「四ノ切」の忠信は、澤瀉屋にとって大切な役。三代目の狐忠信の宙乗りは、歌舞伎におけるひとつの歴史の始まり。憧れのこの役を自主公演で勉強した青虎の実績があったからこそ、今回の「忠信篇」が上演出来たのではないだろうか。もし無かったら…もしかしたら、この公演自体どうなっていただろう…高い天井から桜が降りしきる中、晴れ晴れと飛翔していく青虎の姿に感動を覚えた。桜吹雪にその姿が消え失せるまで、しみじみと見送った。今回は、「蔵王堂花櫓の場」の最後を加えた幕切れ。無事全て演じ切り幕が下りた事、澤瀉屋一門の懸命な姿に、深い感慨があった。源義経を演じた笑三郎の、気品高く誰よりも確かな姿。笑也の、「鳥居前」の静御前の美しさと、「四ノ切」の飛鳥の心尽くし。それから、「吉野山」の後見を務めた猿紫、どれほどの緊張だったろう。などなど、一門全員、ひとりひとりに対して、寄せる思いが沸き立った。今回もまた、壱太郎に助けられた。鷹乃資の新たな一歩を拝見させて頂いた。ご参加頂いた方々の御助力あってこそ、現在の澤瀉屋一門だけでは上演出来なかった。4日間4公演に用意された、のぼり旗や祝い幕に絵看板、花道はじめ舞台装置、読み応えのある筋書、施設内の誘導などの係、等。会場内での弁当が許されたり、歌舞伎ファンへの寄せ方、等。今回の主催側と製作側の様々な配慮に、これ一回では終わらせたくない意志を感じた。その思いに、今回の澤瀉屋一門は応えられたのではないだろうか。来年11月に、第二回「立飛歌舞伎」の開催が決まった。次はどちらの御一門が出演されるのか、発表が楽しみでならない。どうか末永く、出来れば若手が活き活きと活躍する場となって欲しいと願う。